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(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
===系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1879305?page=226 226頁]
*『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/945803?page=225 225頁]
*『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/969147?page=228 228頁]
===本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[271]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2593544?page=47 47頁]
===華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780644?page=116 116頁]
*『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780646?page=114 114頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780646?page=177 177頁]
===新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)下(巻11-21):[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1086613?page=182 182頁]
*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之17:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780438?page=12 12頁]
*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/991615?page=181 181頁]
===文献(NDLサーチ・Amazon)===
*『山吉氏史料展 本成寺開基大檀那・三条城将』本成寺(1973) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970023484960237568 国立国会図書館サーチ]
*井形朝良『山吉家家譜』吉沢喜三(1993) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002319079 国立国会図書館サーチ]
*井形朝良『山吉家家譜解説書』吉沢喜三(1995) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002434083 国立国会図書館サーチ]
*矢田俊文「近世前期における米沢藩の修史事業と山吉家」資料学研究、1頁(2005) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I011000003317980 国立国会図書館サーチ]


==系図・系譜==
==系図・系譜==
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==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yamayosi.html 武家家伝_山吉氏(播磨屋 武将の家紋)]
*[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%89%E6%B0%8F Wikipedia:山吉氏]


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2026年10月31日 (土) 17:33時点における最新版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

越後國蒲原郡山吉邑より起る。池氏家譜に據れば「平大納言賴盛の後裔池源五は伊豆守と稱し、後に山吉小次郞と云ふ」と、イケ條參照。三條衆の隨一にして、三條城(裏館村)は初め山吉氏の居城也。永正中、山吉孫五郞景長あり、に政久とも、丹波入道とも見ゆ。主君長尾信濃守爲景の懇望に任せ、當城を差上げ、同郡木場に移る。後長尾平六俊景·天正年間、此の地に據り、國中に威を振ふ。舊記に「山吉孫五郞景長は三條城主にて、九萬貫を領し、長尾信濃守爲景に屬す。永正十一年、爲景の懇望に任せ、當城を差上げられ、同郡木場へ移る」(北越雜記)と。又「山吉氏は永正中より三條域に居り、天正五年、三修城主山吉孫次郎豐守病死につ三條を立除き、三島郡上田の内、大屋村へ移り、同七年より木場へ移る。豐守の會第孫次郎景長·相續して、後玄蕃と云ふ」と見え、北國太平記に「三條城主山吉玄蕃尤が家斷絕して、植田坂戶山の城主甘糟近江守景持を三條へ指造し置き給ひけるも、謙信·兼ねて寵愛の小性井地峰勘五郞に、山吉が一跡三條の城、並に六十二騎の城付領を悉く恩賞あらんと宜ひける」と。又越後治亂記に「謙信十四の春、潜かに上洛せし供に戶倉、秋山、曾根、鬼小島、鬼山吉」と載せ、また「當國には、他國までも感を振ひ、鬼神の如く云はれて、一騎當千と聞えし勇士數輩ありける其の中に、人相の人に替りて眼ざしにも恐れられけるは、まづ鬼小島彌太郞、鬼山吉小次郞なり」と。又彌彥山中の荒山城主に櫻井宗方、黑田和泉守、山吉宮内少輔等見え、又木場城(木場村)は新發田謀叛の際、最勝當城を築き、本城に藝沼藤七、二丸に山吉玄蕃允を置くとも見ゆ。又古志郡堀金城は、源義家の家臣浦部兵庫兼陸の居所にして、數十世にして山吉長門守に至るとも傳へらる。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:226頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:225頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):228頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[271]:47頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:116頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:114頁、177頁

新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)下(巻11-21):182頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之17:12頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:181頁

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系図・系譜

関連論文

外部リンク