山吉
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
越後國蒲原郡山吉邑より起る。池氏家譜に據れば「平大納言賴盛の後裔池源五は伊豆守と稱し、後に山吉小次郞と云ふ」と、イケ條參照。三條衆の隨一にして、三條城(裏館村)は初め山吉氏の居城也。永正中、山吉孫五郞景長あり、に政久とも、丹波入道とも見ゆ。主君長尾信濃守爲景の懇望に任せ、當城を差上げ、同郡木場に移る。後長尾平六俊景·天正年間、此の地に據り、國中に威を振ふ。舊記に「山吉孫五郞景長は三條城主にて、九萬貫を領し、長尾信濃守爲景に屬す。永正十一年、爲景の懇望に任せ、當城を差上げられ、同郡木場へ移る」(北越雜記)と。又「山吉氏は永正中より三條域に居り、天正五年、三修城主山吉孫次郎豐守病死につ三條を立除き、三島郡上田の内、大屋村へ移り、同七年より木場へ移る。豐守の會第孫次郎景長·相續して、後玄蕃と云ふ」と見え、北國太平記に「三條城主山吉玄蕃尤が家斷絕して、植田坂戶山の城主甘糟近江守景持を三條へ指造し置き給ひけるも、謙信·兼ねて寵愛の小性井地峰勘五郞に、山吉が一跡三條の城、並に六十二騎の城付領を悉く恩賞あらんと宜ひける」と。又越後治亂記に「謙信十四の春、潜かに上洛せし供に戶倉、秋山、曾根、鬼小島、鬼山吉」と載せ、また「當國には、他國までも感を振ひ、鬼神の如く云はれて、一騎當千と聞えし勇士數輩ありける其の中に、人相の人に替りて眼ざしにも恐れられけるは、まづ鬼小島彌太郞、鬼山吉小次郞なり」と。又彌彥山中の荒山城主に櫻井宗方、黑田和泉守、山吉宮内少輔等見え、又木場城(木場村)は新發田謀叛の際、最勝當城を築き、本城に藝沼藤七、二丸に山吉玄蕃允を置くとも見ゆ。又古志郡堀金城は、源義家の家臣浦部兵庫兼陸の居所にして、數十世にして山吉長門守に至るとも傳へらる。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)