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黑木(4)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

4源姓第二項氏に同じ。黑木由來記に「黑木河内木屋村の猫尾城は其の起源詳ならず。薩州根智目の城主某、大軍を率して來り攻むる事、二年餘にして、遂に猫尾の城を拔きて是に居る。黑木大藏大輔源助能と云ふ。室は島津忠宗の女なり。黒木六町、及び山門郡瀬高庄にて千町を領す。文治二年春、助能大番として上京、助能·笛に巧なるを以て、假に大納言に任ぜられ、其の役に候ぜしむ。帝·其の曲調の微妙なるに叡感有りて、調査、及び官女待實小侍從を賜ふ。(文治以下は筑後城館集、寛延記、名號綠起、甲冑傳、これに同じ。緣起には助を祐に作りて、曰く、小侍從·帝子を孕むと。又由來記には『小侍從は德大寺左大臣實定の密婦、懷胎·既に三月、別れに臨み、實定·劔二柄、及び長五寸の觀音像、光明皇后自作の曼陀羅を賜ひて曰く、男ならば劔を與へ、若し女子ならば、佛像曼陀羅を與へよと。卽ち辭去す』と。寛延記、及び緣起には、帝·これを賜ふと曰ひ、寬延記またホ侍從·男子を生む。則ち後鳥羽院の第四子也德大寺左大臣をして、これに命じ、名を黑木四郞調宿禰藤原定能と曰ひ、鎧一個、及び山門郡瀨高上庄千町を賜ふ。此の鐘、木屋村住定能の臣·松尾藏王に傳へ、子孫今に猶ほ存す』と、助能是を携へて下向す(寛延記に、此の時、馬渡將監隨從すと)。助能の室·深く之を嫉む。乳母(紅梅)、及び侍女十二人を率し、城下岩淵に投じて死す。其の死骸·本分村藥地の濶に留り、怨靈·祟を成して往來の人を憎す。故に先に玉ふ處の劔一柄を沈めて、其の靈を和め、築地窪と云ふ所に、祠を建て、其の靈を三體として、これを築地御前と稱す。(將士軍談)。小侍從·男子を產む。是れを黑木四郞調宿禰藤原定善と云ひ、黑木家を相續す。(藤原は實定の姓を用ひし也と)。先腹に二男一女あり。是を薩摩腹と云ふ。長子に上妻郡川崎庄犬尾篠城を與へて、是に居しむ、是を川崎五郞源重俊と號す。二男星野谷の城主たり、代々星野を以て氏とし、姓には源を用ふ。女子は肥後國和仁氏の室也。小侍從·老後京の四條を寫し、四樣野村、四條野河原など名付け、後の山に城を構へ驚が城と號す云々」と。又河崎家譜に「多田滿仲の四男藏人頭源能高·大隅藏人頭に補せられ、上妻、下妻、生葉、三郡を賜はり、始めて城を黒木〓に築く。夫より大藏大輔宗隆、隼人佐宗眞、兵庫頭能永、大藏大輔助能と相續し、助能に三子あり(以上詳細カハサキ條にあり)。三男黑木四郞成實は藏人頭、修理亮と號す。三男たりと雖、後島羽院の御種なれば、帝都の聞を憚り、嫡子として黑木の本城を讓り、山門郡、及び上妻郡廿五ヶ所、合せて一千四百丁受領あり。是れ黑木三家に別れし所謂也。抑も助能の三男修理亮成實、院の御種たる由〓を尋るに、頃は文治二年、大藏大輔助能·大番として在京の頃、禁延に管絃の事有り、笛の律を調ふる事能はず。助能·給命に依りて階下より是を吹く。宮中の樂を調ふる事を得たり。帝·叙感の餘り、調の姓、並に河原大宮の侍從を玉はりぬ。侍從·容儀群に拔け和歌を善す。高倉帝の宮女と成りて、大宮の御所に住り、後鳥羽院の寵に預り、懷妊の後、綸言に依りて德大寺左大臣實定の家に在りしを、召して助能に賜はり、且つ劔二振、及び光明 皇后御筆の六字の名號を玉はりけり。助能·相具し歸りて、男子を伊駒野に產む(伊駒野は犬尾城の東面、北河内の中にあり)。依りて伊駒四郞成實と號す。六字名號、今は光明寺賓物と成る。然るに成實·生年十八歲にて早世あり。助能·愁歎に堪えず、其の像を刻み神體とす。今大音堂と號する是れなり。北木屋村にあり。是に依りて、黑木に嗣子なきにより、川崎出羽守定善の次男河崎四郞を養ひて猫尾の城を嗣しむ、」と見えたり。又星野系圓に「助能-定善(黒木四郞、母は小侍從、黒木家を嗣ぎ、猫尾城に居る)。川崎、星野、黑木を調黨の三家と號し、家記に、釆地千町」と見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

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