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黄柳(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

日向記に黄柳善左衞門尉なる人見ゆ。木八重キヤへ日向記に木八重内藤正あキヤウシ-キャヘ味道あり。又應永十二年澁川滿賴が書簡中に木山遠江守あり。皆當城主ならん」と。又福原村安養寺の弘治三年の棟札に「當代官木山右馬頭字治惟貞。弘治三丁巳十二月、當住持遮郡業勒息豪秀敬白。大檀那阿蘇三社神主正二位大納言字治惟豐朝臣と見ゆ。木山氏の後衛左近太夫惟興は、阿蘇家に客として仕ふ。嘉吉元年、登城郡腰尾郷に居城し、後腰尾を木山と改む。惟興の子備後守惟正、その子左近惟貞、天文十六年、居城を赤井(木山の南)に移す。惟貞の子太郎惟久は文武に名あり、薙髮して紹宅と號す。永祿天正頃の人なり。其の子備後守信連、天正十三年·島津氏に攻められ、赤井木山一同に落城す。其の時二歲の見を町人梅屋某の家に隱せしが、其の孤·長じて梅屋の家を讓られ、四郞左衞門と曰ふ。今に多く古文書を傳ふ(國志)。甲斐系圖に新秀の女は木山惟久の室と見ゆ。又天草家來に木山彈正あり、加藤清正と戰ひし勇將也。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

関連論文

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