鳥飼(5)
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概要
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姓氏家系大辞典
5武藏の島養氏橋樹郡塜越村の名族にして、先祖は左衞門次郞明正とて、小田原北條家の家人なり。小田原沒落の後、子孫當所に住すとぞ。又云ふ、村内荒神を勘請せし佐野木工之助と云ふもの、後に氏を鳥養に改めたり、これ彌兵衞が先祖なりともいへり。されど此事は明證あるにあらず。家に延寶三年四月、先祖仁兵衞明知が由緒を藏せり。是もいと蟲脫にして、詳なることを見るによしなし。其の大略をいへば、島養氏は世々伊豆國の住人にて、眞名鶴の地を領せり。北條長氏より氏直に至るまで五代の間勤仕しけ「島飼中納言伊實癇」るが、天正十八年、小田原滅亡の時、左衞門次郞明正·落人となりて、男子の十七歲と十五歲とになりし二人を携えて、都筑郡長津田村へ來り、岡部の何某と云ふものゝ家を隨ぎて農家となれり。明正は七十歲餘までながらへて沒せり。かの眞名鶴より携えし二人の子供の内、次男をば當村の人增田何某が聟として、拂左衞門と稱せり。後嫡男の庄左衞門も弟が跡を慕ひ、當所に來りて農民となれり。彌兵衞は乃ちその子孫なり。長津田及び相州眞名鶴にも今に一族殘れりと云ふ新編風土記)と。又埼玉郡にも存す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)