鮫嶋(2)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2薩摩の鮫島氏前項の後にて、桓武平氏と傳ふ。建久三年、鮫島四郞宗家,餘倉賴朝の命を受け、阿多に地頭たりと云ふ、園田帳に地頭佐女島四郞と見ゆ。前條に云へり。子孫·阿多の貝殻崎城Geg崎村)に據る。南北朝の頃、官軍に屬して、王事に盡す。地理纂〓に「鹿兒島郡谷條城。曆應四年四月、島津貞久·東福寺城を拔き、敵は尾頸小城を保つ。貞久また尾頭を拔く、敵走りて當城に據り、上山城を襲はんとす。貞久亦之を敗る。又觀應の頃、南方の賊·此の城に據りて、上山城を襲ふと舊記に見へたり。按ずるに、南方の賊とは鮫島氏の事にて、建久の圖田帳に、阿多地頭佐女島四郞とあり。此の者、東艦に『阿多平權頭忠景·勃勘を蒙る云々』とある忠景と、同族にて、其の後、鮫島彦次郞入道蕪道と云ふ者、南朝に屬して壓々貞久に敵せし事、奮記に見へたり」とa此の氏·果して阿多氏と同族か、考ふべし。鮫島家藤は動王家として名高く、親應の백、谷峰城に據り、武家方と戰ふ。ヌ··れより前、島津家建武四年四月廿六日文書に「鮫島庄次郎入道誅伐云々」と、宮方の將なり。又「彥五郞入道云々」と載せ、阿多北方の領主鮫島蓮道(文和四年)、又鮫島淵次郞景家あり、千葉氏より女を迎へて山門院惣郡司となる、串木野條、山門條を見よ。島津貴久の代に至り、此の氏遂に島津氏に服す。阿多郷日吉神社は鮫島氏の創立なりと。又川邊郡加世田鷹屋上明神社及び野間植現の社司に鮫島氏あり。又近き世、鮫島將軍あり。功を以つて男爵を賜ふ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)