高麗人(5)
表示
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
5武藏の高麗人天智天皇の七年(一三二八)高麗國の減亡するや、其の遺民·唐の粟を食む事を恥ぢ、相率ゐて我國に歸化する者數千に及ぶ。朝廷は此等歸化高麗人を多く東國に置きて之れを優遇せしが、當國·最も多かりしが如し。靈亀二年五月紀に「駿河、甲斐、相摸、上總、下總、常陸、下野、七國の高麗人千七百九十九人を、武藏國に遷し、高麗郡を置く焉」と見ゆ。和名抄に高麗郡高麗擲を載せ、古末と註し、又多摩郡に狛江郷を第五項を見よ。第五項を見よ。餘綾部 コマヒト載せたり。(高麗郷は古萬と註す、但し刻本になし、高山寺本に據る。風土記傳に「今高麗〓高麗本〓あり、此の〓を唱ふるもの合村十四あり、」と。而して靑木村靑木内藏助の家譜に「其の先武石麻呂·靈龜二年二月、詔を蒙りて、高麗人九百九十人を率ゐ、丹波國より本郡に來る」と云ふは、上述國史記事の傳說化したものと考へらる。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)