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高橋(7)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

7對馬の高橋連神護最雲二年二月紀に「對馬國上縣郡人高橋連波自采女、夫·亡きの後、誓つて忠を改めず、其の父·尋いで亦死す、廬を墓側に結び、毎日齋食す。孝養の至、行路に感あり、其の門間に表し、粗を復し身を終らしむ」と見ゆ。高橋臣安倍氏の族にして、勝臣の族なり。天皇本紀に「大彥命は、阿倍臣、と見「詫摩次の高橋と、通じ用ひら高橋臣の祖也」と載せ、姓氏錄は攝津皇別に收め「高橋臣。阿倍朝臣と同祖。大彥命の後也。日本紀に見えず」と載せたリ。蓋し高橋朝臣は、此の氏の朝臣姓を賜へる者なるべし。カシハデ條、及び次項參照9高橋朝臣前項と同樣、安倍氏の族にして、膳臣の後也。蓋し神名帳に「大和國添上郡高橋神社」と見ゆる地より起る。もと膳臣なるが、何時頃より高橋氏となれるや詳かならず。勿論姓氏錄には、天武朝に、膳臣より高橋朝臣を賜はれりとあれど、高橋臣なるものの殘留するより見れば、膳臣の族人·地名に因りて高橋臣となり、高橋臣、更に朝臣姓を賜ひて、此の氏となりしが如し(カシハデ條、膳臣、膳朝臣等參照)。而して膳臣は、天武朝、朝臣を賜ひ、持統紀五年條に見ゆる當時の大族十八氏の内にも、膳部氏の出づるあれば、此の膳氏と云ふは此の氏族中の宗族にて、高橋と云ふは、もと支庶の氏なりしか。然るに後世、膳朝臣は衰へて、高橋朝臣のみ榮え、遂に此の氏の方、宗族なるが如くなりしなるべし。但し又中臣氏に於ける藤原氏、物部氏に於ける石上氏の如きものかとも考へらる。氏人は、文武紀、二年七月條に「直廣肆高橋朝臣島麻呂」なるもの出づ。姓氏錄は左京皇別に收め「高橋朝臣。阿倍朝臣と同祖、大稻興命の後也。景行天皇·東國を巡狩し給ひし時、大蛤を供へ献ず。時に天皇·其の奇美を喜び給ひ、姓を膳臣と賜ふ。天淳中原眞人(證天武)の十二年に、膳臣を改めて、高橋朝臣を賜ふ」と載せ、また太子傳玉林抄九卷所引の姓氏錄第八卷には、「高橋朝臣の本系、阿倍朝臣と同祖。大彥命の後也。孫勢鹿六猫命は、大足彦忍代別天皇(證景行)の御世、姓を膳臣と賜ふ。十世の孫小錦上國益、天淳中原濾眞人天皇(證天武)の御世、高橋朝臣の姓に改む。三世の孫·五百足、男·從八位犬類、裔孫·從五位下祖麻呂、從七位下石畠等也」など見えたれど、天武朝賜姓の事は書紀に見えず。此の氏は代々安曇宿福と共に、内膳司奉膳たり。神事に仕ふるに當り、二氏常に先後を爭ふ。其の事高橋氏文に詳かにして、カシハデ條に云へり。子孫第十八項以下を見よ。10攝津の高橋朝臣前項と同族なれど、蓋し第八項の朝臣姓を賜ひしものならん。貞觀四年二月紀に「攝津國河邊郡の人、正六位上行內膳典膳高橋朝臣藤野等、本居を改めて、左京職に貫す」と見ゆ。11信濃の高橋朝臣貞觀六年二月紀に、「從五位下行越後介高橋朝臣文室麻呂卒す。文室麻呂は、左京人、本姓膳臣なり。又·錦部を姓とす、信濃國人也。五代の祖·膳臣金持、信濃國人錦部氏の女を娶リ、男倭を生む。是に於いて、倭は本族を尋ねずして、母の姓を以つて己の姓と爲し、便ち信濃國人と作る。倭の男·美造病死す。五男備後撤正六位上彥公、五經を讀むを以つて、嵯峨院に侍し、天長五年、錦部を改めて、高橋朝臣を賜ひ、左京に貫附す。膳と高橋とは同祖也」と見ゆ。錦部條參照。12高橋公皇別姓なるや明かなれど、出自不明。天武紀十三年條に眞人姓を賜へり。當時、尊貴の氏たりしや必せり。13高橋祝越後の古族にして、安倍氏の族ならん。大同類聚方に「越(此の下欠字數個あり)伊夜日子(彌彦)神社に傳ふる方云々。蒲原(此の下も欠字)

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[3]:21頁
  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:83頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[186]:50頁
  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[212]:28頁
  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[237]:29頁、58頁
  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:57頁、64頁、66頁

系図・系譜

関連論文

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