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馬杉

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

近江國甲賀郡馬杉庄より起る。當莊は北野社文明の文書、大秦廣隆寺由來記等に見ゆ。伴姓大原氏の一族にして、大原貞景の子(或は弟)馬杉四郎爲頼の後なり。伴氏系圖に「賣乘-貞景(大原八郞)-爲賴(四郞、關東御下知を帶び、馬椙公文職を知行す)-能量-最後(二郞、法名行願)-孝氏(兵衞太郞)-義權(太郞左衞門尉、外祖父景俊養子となる。盛景末孫、其の跡を繼ぐ。七郞兵衞尉孝康嫡男也、法名明覺)-義行(中務亟)-義康(兵衞二郞)」と。猶ほ義行の弟に左衞門二郞義兼、孫五郞惟義あり。この後裔に馬杉喜右衞門一正あり、黒田侯に仕ふ。累世江州の者にて、其の先祖は佐々木氏綱に仕へ、「其子義綱の二男龍水丸、若州武田義宗へ養子として行れし時、傅御を勤めたる馬杉權守實宗と云延喜八年の玖珂、邦戶籍る人也。祖父を監物と云、父を薩摩と云、喜右衛門は弘化元年瀬田にて生る。永祿十年八月、佐々木義弼、三好と通じ、將軍義昭を弑せんとせし時十三歲にて初陣す。後一柳伊豆守に仕ふ、秀吉公小田原城責の時、伊豆守討死し給ふ。伊豆守は孝高の妹婿也其子松森は孝高の甥なりけるが、孝高の許にて養育し給ふ。此時喜右衞門も松壽に隨て來りける、朝鮮陣に長政の供して赴き、晋州の城責の時は黑田家にて二番に續て城乘をぞしたりける。慶長五年豊前陣の時、喜右衞門が才覺を以、安岐の城を落す、後年千石を領す、寛永十四年、八十三歲を以つて病死す」云々と。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図・系譜

関連論文

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