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顯(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

宗帝の御名代の民にして、顯宗紀三年條に「福草部を置く」と載せたり。其の名の起りは、姓氏錄、左京神別三枝部連條に「顯宗天皇の御世、諸の氏人を喚び集めて、饕蔭を賜ふ。時に三莖の草·宮庭に生ず。採りて以つて獻じ奉る。仍りて姓を三枝部連と負ふ」と見ゆれば、祥瑞による名稱かと思るれど、友人廣瀨無聲曰はく、「こは恐らく御父の御齒の三枝なす押齒とあるより起れるものならん」toこの說よし、卽ち古事記顯宗段に「天皇·其の父王市邊王の御骨を求むる時、淡海園に在る吸老媼·參出で白さく、王子の御骨を埋むる所は、專ら吾能く知れり、亦其の御齒を以つて知るべし。(御齒は三枝なす押齒に坐せる也)。爾·民起てゝ土を堀り、其の御骨求きて、卽ち其の御骨を獲給ひて、其の蚊屋野の東の山に、御陵作りて葬めまつりきto忍齒別王(書紀には押磐皇子)の御名は、此の三枝なす押齒より來れる事は記傳にも說あり。此によりて考ふれば、此の部は市邊押擊皇子の御名代と見る方·適切なるべし。或は云ふ、「三枝部とは三枝祭に關する品部なり」と0されど如上の事實により、御名代部なる事明白なれば、採らず。猶ほ福草の文字を當てゝ祥瑞より起るとするも、後世の附會に過ぎずと考へらる。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

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