頓宮(3)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3備中の頓宮氏前項と同族か。太平記卷八に「伊東、松田、頓宮、富田判官が一番とまた「備中國の住人·頓宮又次郞入道、子息孫三郞、田中藤九郞盛兼、同舍弟彌九郞盛泰と云ふ者也。我等父子兄弟·少年の昔より勅勘、武敵の身と成りし間、山賊を業として一生を樂めり。然るに今幸に此の亂出來しに、忝くも萬乘の君の御方に參ず。然るを先度の合戰指たる軍もせで、御方の負けたりし事、我等が耻と存ずる間、今日に於ては、縱ひ御方負けて引くとも、引くまじ。敵强くとも、其れにもよるまじ。敵の中を破つて通り、六波羅殿に直に對面申さんと存ずるなりと、廣言吐いて、二王立ちに美濃(ハヤミヅ)、武藏ぞ立つたりける。島津安藝前司·是れを聞いて、子息二人、手の者共に向つて云ひければ、日比聞き及びし四國一の大力とは、是なり。彼等を討たん事、大勢にては叶ふまじ。御邊達は且く外に引かへて、自餘の敵に戰ふNb我等父子三人·相近付いて、進んコ、遲いつ、且く惱ましたらんに、などか是を討たざらん」と又「小早川二百騎にて、をめいて懸かりけるに、田中が後なる勢·ばつと引き退きければ、田中兄弟、頓宮父子、彼此四人の鐘の透間内胃に、各々矢二三十筋·射立てられて、太刀を逆につきて、皆立ちすくみにぞ死にたりける。見る人、聞く人、後までも惜まぬ者は無かりけり」と見ゆ。また「頓宮の一黨五百餘人」など載せ、備中府志に「頓宮又次郞入道は淺口郡六條院の人」八田部郷に在り、と云ひ、頓宮氏の據る所」備中志に「掘内城はと見wo 4若狭の頓宮氏太平記卷三十六、頓宮心替條に「若狭國は、相摸守(細川〓氏)·近年官領の國にて、頓宮四郎左衞門(藤康)·兼ねて在國したりければ、小濱に究意の城を搆へて、兵糎數萬石を積み置きたり」云々と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)下(巻11-21):314頁
- 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之20:37頁
- 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之21:23頁