難波(2)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2柏濟の惡神景行紀二十七年十二月條に「日本武尊、亦雖波に至る比に、柏濟之惡神を殺す」と載せ、また同二十八年春二月條に「日本武尊·熊襲を平げし狀を奏して曰す、云々。悉く其の國を平ぐ、是を以つて西洲既に體まりて、百姓無事なり。唯吉備の穴の濟神、及び難波の柏の濟の神、皆害心あり、毒氣を放ちて、上難波、下難波の村名·ナナモリ條を見よ。なほな路人を苦しむ。並に禍害の藪たり。故に悉く其の惡神を殺して、並に水陸の徑を開く。天皇·是に於いて、日本武尊の功を美め給ふ」と。此の柏濟は仁德紀に葉濟と見ゆ、御津埼の事にして、攝津志に「長柄川の渡は五あり、柏濟は野里川に在り」と載せたり。惡神とは、蓋し此の地の土豪にして、凶惡なるものか。その要害の地を占むるよリ、自ら勞力ありしものと想像せらる。或は前項の渡の神と同一系統か。3その他、振津國風土記に「難波高津は、天稚彥·天降りし時、天稚彥に屬きて下れる神、天探女、磐船に乘りて、爰にいたる。天磐船の泊る故を以つて、高津と號く」(續狀林良材集上卷、萬葉代匠記)と。また同風土記に「宇翩備能可志婆良能宮御字(神武)天皇の御世、僞者土蛛.此の人·恒に穴の中に居る。故に賤み號けて土蛛と云ふ」(釋日本紀卷九)と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)
尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[1]:5頁、7頁、10頁、40頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[5]:47頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:5頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:87頁