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隆家(8)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

8源姓說猶ほ菊池氏の出自については異說診からず。應永戰覽に「武基、(天慶源經基鎭四下向、太宰府にありて侍女に姻す。其の女孕みて故郷菊池に歸リ、同四年四月、男子を產む。源家正脉を以つて源丸と號す。其の女の父母·勞はりて之を育つ。天曆八年九月、祖父·源丸を伴ひて上洛し、經基の子と爲す。人々相知れり矣。時に十九歲なり。聽がて奏聞を經て、參內元服、肥後守に任じ、正四位上に叙せられ、菊池郡を賜ひ、肥後介武基と號す、是れ菊池の初祖也) -武有(肥後守)-武國(肥後新太郞)-武尙肥後大夫介)-武行(肥後介、貞應四年、實朝卿の時、宋に渡り、佛舍利を得て歸朝す)-武仁(武通と改む)-武親(四郞、肥後守、左京大夫、從四位下、元曆西海武功に依リ、文治元年、肥後守護職を賜ふ。右大將賴朝〓の時也。但し父武仁一紙の御判) -武依(肥後守、從五位上、承久の關東方)-武房(肥後守、從五位上)-武持(肥後守)-武直(掃部助、判官)-武源(新九郞)、第武俊十三代(掃部頭入道寂阿、從四位上、龍相寺殿、贈三品、建武官軍方)云々」と見ゆれど、荒誕不稽、一顧の價値なかるべきか。唯參考の爲に擧ぐるのみ。又菊池森田系圖には則隆の父を「本田對馬守政則」ちよ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

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