阿比留
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
對馬の大族なり。蘇我姓と云へど恐らく對馬直氏の後か。國府八幡の古文書に「大治三年權大掾阿比留眞貞神田を奉り、放生會の用途に充つ、是れ祖父己基の奉りし所を、父忠好達亂しければなリ」と見え、又豆酘觀音堂の鐘名に「つリ鐘を鑄て日本國對馬島下縣豆設郡の寺に懸奉る、前の檀越正六位上權椽阿比留の宿禰良家、去る寬弘五年八月廿八日是を鑄終る。後仁平三年十月三日錦增終る、願主正六位上行椽阿比留宿福吉房、今康永三年甲申七月廿五日是を鑄造して施入し奉る」と。此の氏の出自については、津島記事等に、「此の氏の組比伊國信は蘇我宿顧の裔にして上總國畔蒜郡の人なりしが、弘仁中國津の子行兼當國司に任ぜられ、子孫遂に在廳官となる」と見えたれど確證なし。上縣郡奥良〓黑瀨濱近き海邊に比留浦ありと云へば、其の地より起りしにて、宿禰姓を稱する事と、在廳官なるより見て、當國の古族直宿禰の後斎と考へらる。即ち對馬國造の後たるなり。其の耶址難知村龍泉寺の南に在り。其の後寬元中阿比留平太郞國信なゆものあり、太宰府の命に從はざりければ、宗知宗·府の軍兵を發し來討し、國信を奥良〓に撃破して之を殺す。宗氏家譜に一期次郞左衞門尉重尙、寛元四年、阿比留家を討取りて對馬國を領す」と見ゆ。阿比留氏の裔は其の後住吉社の神主として後世に殘志摩にあり。アヒヤマ-アヒラアヒリ- アヒル-アフカアフカアフカハ-アフキ一六八れりと云ふ。安蒜ててんアンビル上總國畔蒜郡畔蒜庄より起る、藤原姓とも平姓とも云ふ。家紋橫木瓜、三ツ柏、下り藤、抱茗荷等を用ふ。