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長野(6)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

6歷代三國地志に據る。一代、祐政·話經の孫薩摩守祐長の三男、延應元年初めて長野に住す。是より以降、ナカノナカノナカノ 長野家と稱す。駿河守。弘長三年八月廿一日卒。元、祐藤·祐政の男、近江守。仁治三年壬實生、正應五年正月三日卒。三代、友房·點廉の男、元亨三年十二月二日卒。四代じ藤房·友房の男、播磨守。弘安八年乙酉生、康永三年五月晦日卒。天代、豐藤·卷房の男、貞和年中三月八日卒。大代々經藤·豐藤の男、式部卿。應永四年三月朔日卒。七代、義藤·經藤の男、丹波守。應永二十年九月朔日卒。八代、光忠·義藤の男、越後守。文安四年六月十九日卒。れた、宗忠·光忠の男、修理大夫。廉正三年四月十六日卒。十代、政藤·宗忠の男、玄蕃助。寬正三年九月七日卒、歲十九。十一代、藤繼·應仁記、相國寺炎上條に「去程に近くに相國寺を敵に取られては、先非を悔ひても、甲斐あるべからずとて、安富民部元綱·三千餘騎に、長野を始として、伊勢衆を相添へてぞ籠せらる」と。駿河守。弘長三年八月廿政藤の男、實は弟也左衞門佐。文明十八年七月五日卒、此の時、一族退散。十二代、藤直·藤繼の男、實は宗忠五男にして藤繼弟なり。永正十一年十一月十五日卒。十三代、通藤·藤直の男、金吾と號す、尾張介。享祿三年六月六日卒。十四代、穂藤·通藤の男、宮內大輔。永祿四年正月八日卒。後金吾と云ふ。十五代、藤定·種藤の男、源次郞、大和守。永祿五年五月五日卒。十六代、具藤·足利家當參衆帳に「長野若狭守(伊勢)」to藤定の男、實は國司北畠具〓の二男、次郞と號す。天正四年十一月廿七日、織田侯に通られ自裁し、此に至り、十六代にして滅亡す。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[120]:26頁、27頁
  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:39頁

系図・系譜

関連論文

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