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鎭西(9)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

9雜載源平盛衰記に「新田入道の郎等·鎭四八、切字の六郞」を載せ、東鑑卷十三に鎭四中太あり。10鎭四操題元寇の際、北條氏·其の一門を派して、西海の諸將を監して、異賊防禦に當らしめしに始まる鎭四要略に「弘安五年、北條遠江守爲時(又曰ふ時定)を異賊の武備と爲して、下向せしめ、筑の姪濱(或は曰ふ博多)に處く。遂に押して奉行所と稱し、爲時を阿蘇殿と號す」と。また太平記に「永仁元年より、鎭四に一人の探題を下され、九州の成敗を司らしめ、異賊襲來の守を固くす」$島津文書に「異賊警固の爲、兼時、時家を鎭四に下し遣はす所也。防戰爭事、評定を加へ、一味同心して警策を運らすべく且つ合戰の進退は宜しく兼時の計ひに從ふべし云々。正廳六年三月廿一日、陸奥守、相摸守」と見ゆる、これにして、續風土記に「水仁元年三月、鎌倉の執權北條貞時、始めて北條兼時を筑紫に下して、探題とし、九州二島の政事を司らしめ、異賊襲來の防禦に備ふ。是れ王代の太宰師の任にあたれり。兼時·妊濱の域に住せしより、後鎌倉より相つゞきて、九州探題を下しけるが、其の城地はこの所なり。後正慶二年五年二十五日、探題匠作英時減亡の事、太平記、及び九州記等に見えたれば、爰に略す。足利將軍の時.澁川氏、斯波氏などを探題とて下向せしめらる」とo北條氏の探題は、時定、兼時、定宗、實政(上總介)、隨時(阿曾遠江守)、英時(赤橋修理亮)等なり。猶ほ正副の兩人あり、北條條を見よ。又大友、少貳、菊池、島津等の條を參照せよ。次に足利時代には、其の一門、一6,斯波、今川、澁川等の諸氏·此の職にあり、各條に詳か也。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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