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鎌倉(4)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

4上野の上杉氏當國は山内上杉氏の本據なり。始め足利尊氏の興るや、上杉憲房を當國の守護とす、梅松論に「義貞の分國上野の守護職を上杉武庫禪門に任ぜらる」とあるもの之なり。憲房之を第四子意顯に傳へ、次いで憲方、憲定、憲基を經て、憲實に至る。代々鎌倉の執事たリ。憲實·管領(公方)持氏と戰つて勝ち、事實上關東管領となる。後職を弟〓方に傳ふ。その後持氏の子成氏再び管領となり、憲實の子憲忠執事たりしが、成氏之を殺せしにより、其の弟房顯·本州を以つて畔き、成氏に勝ちて關東管領となる。次いで民部大輔顯定、越後より入りて管領となり、當國平井城に據り、古河公方成氏と戰ふ。王代一覽に「文明八年、山内上杉顯定は、上州平井に城を構へて、八ヶ國を下知す」と。また和田記に「文明十年平井に城を築く、廢城考には「應仁元年、顯定平井城を築く」とあり。而して甲陽軍鑑に「山內上杉は上州平井に居城し、相摸、武藏、下總、安房、當陸、出羽、陸奥、下野、越後、佐渡、信濃、飛驒、上野の十三ヶ國の諸侍、平井へ出仕す」と見ゆ。顯定、永正七年越後に戰死し、憲房嗣ぎ、其の子憲政に至り、天文二十年北條氏に破られ、遂に越後長尾詠信に賴り、上杉の稱號と關東管領の職とを傳ふ。下野國志に「平井故城、緣野郡金井村にあり、上杉氏代々居る、天文二十年小田原北條の爲に亡び、城廢す」と。(ヤマノウチ參照)。その後上杉正榮あり、永祿六年諸役人附に「関東衆、上杉正榮(上州)」と見えたり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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