金子(3)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3新編風土記、入間郡木蓮寺村瑞泉院條に「當寺は金子十郞家忠が開基にて、家忠は、建保四年二月十七日卒す。法證を瑞泉院雄霜道英と云ふ。これ此の院號の起りし故なり。又寺傳に、家忠が妻畠山氏、建仁元年三月二十三日、家忠に先立ちて沒せしとて、その石碑も境内に立てリ。又過去帳に金子氏代々の法名、卒年もありて、甚だ明備なれど疑ふべし。金子氏の子孫、今松平大膳大夫の家に殘れリ。則ち金子十郞左衛門忠義、同六郞左衞門忠行より、當寺へ贈りし書を藏せり。其の内に、金子氏の由來、及び此の地を草創せしことをのせたれども、此の人のことは爰のみに非ず、多摩郡金子氏の條に辨じたれば、こゝにはのせず、」と。又重範創辦時綱〓親成八左エリ平內五大-近賴-基綱泰親家親小四太左-家時光時五三家親-經親六金子十郞の事は、保元物語、白河殿合戰條に「金子十郞は過目結の直衣に、握繩目の鎧着て、鹿毛なる馬に黑鞍置いて乘つたるが、矢種は皆射盡して、太刀を拔いて眞向に當て、『武藏國の住人、金子十郞家思十九歲、軍は今日ぞ始めなる、御曹司の御内に、我と思はん兵は出で合へや』とぞ名のつたる。八郞宣ひけるは『惡い剛の者かな、わが矢比に寄せて控へたり0只一矢に射落さんと思へども、餘に.優しければ、誰かある、彼提げて參れ、一目見ん』とありしかば、木蘭地の直衣に紫草の腹卷著、栗毛なゐ馬に乗り、高間四郞と名のつて、押し雙べて組んで落寺竹村白髭社條に「當社の由來記に『人皇五十代桓武天皇八代後胤金子武藏守平行長、勅命に依り、武總兩州、武士の棟梁と爲りて下向し、關東武州金子邑に城郭を築く云々。後百餘年を經て、金子十耶家忠、武運長久の爲に境明神を鬼門に榮き、四百五年の星霜を經て元亀三年に至る』とあり、」と。次に多摩郡條に「金子村、此の地は古へ金子十郞家忠が住居の地なりしと云ふ。しかるに村内に館跡を見ず。深大寺村に難波田彈正が古城迹あり、是もしくは金子の居所ならんか。其の故は家忠は當國七黨の金子六郎家範の子なり、其の先は平高望より出づ。曾祖賴任より、世々武藏金子邑に居りしに因て、金子を氏とせ石田、ものに見えたり。家忠は保元中源義朝に屬して、戰功世の知る所なり、彼の雖波田彈正の先祖、羅波田小太郎高範も、亦金子六郞家範が子なり。されば十郞家忠と兄弟なれば、難波田の城跡、卽ち金子の居住なる事を知るべし。東艦に金子太郞、金子奥一、金千源八、金子平左衞門尉等見えたり、皆一族なるべし。金子小太郞高範も亦東鑑奧州追討供奉人の中に見え、又隣村佐須村にも館迹あり。何人の居住せし所といふ事を傳へず」と。而して上仙川村舊蹟島屋敷條に「村の中程にあり、廣袤凡そ七八町、田野を臨みて頗る勝地なり。往古金子時光の館跡にして、天正の頃まで、其の孫金子彈正といふもの、糖たりといへり。その後柴田三左衞門この地を賜はりて、又こゝに居れり、」とあり。其の他、橋樹郡篠原城(篠原村)條に「村の北の方にあり、金子十郞家忠の城址なりと云ふ。家忠居住の地は多摩郡金子村の外にも所々にあり。恐くは金子氏が子孫のとりでのあとか。又は當所の代官金子出雲が壘址などゝいはゞ、さもあるべきか。今見るところ、僅に四五段許の芝地.或は斷岸の所ありて、からほりの形も殘れり、」と。而して「金子氏(篠原村)世々こゝに居れり、北條氏の家人金子出雲の子孫なり。その先祖は金子十郞家忠より出るよし傳れども、舊記を失ひたれば定かならず、」小田原役帳に「三郞殿(景虎三十五貫文、小机篠原、代官金子出書と見ゆ。又足立郡大成城(大成村)條に「金子駿河守の城跡也と云ふ。後普門院となる。駿河守は永享七年八月廿四日卒す、」と。また「中野村金子氏、村の名主なり。相傳ふ金子十郞家忠の後胤、越前守某、及び其の子中務亟、岩槻太田氏の旗下なりしが、沒落の後、慶長年中、中務亟·民間に下り、當村を新開すと云ふ。されど家系、記錄等を傳へざれば詳ならず、」と。又上戶田村の名族に金子氏あり。「本姓は桃井氏にて、播磨守の子孫なりと云ふ。或は桃井が家人の子孫なりとも云ふ。家系及び記錄等も傳へず體とすべきことはなし。但し桃井にゆかりあるもの、折にふれ尋ね來ることありといへり。この金子氏を前述桃井氏の子孫なりと云ふはうけがたし。海禪寺の過去帳に『青泊昌見、寛永十年十一月十七日、桃井氏、是より金子氏に成る、金子豐後』と見ゆ、これに據て、桃井の子孫と云ふにや、此の邊金子氏のもの數多あれば、金子は自から別なるべし、」と。又五兵衞新田の開發者に金子氏あり。又埼玉郡條に「小溝村屋敷跡、村の中程にあり。堀跡殘りて其の内一町四方の平地なり。相傳へて金子十郞の住し所なり「
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)
尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[2]:17頁、28頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[3]:9頁、20頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[5]:110頁
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:8頁
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:202頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第二:238頁、239頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:201頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第2:236頁、237頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):204頁、470頁、471頁
本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[75]:29頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[186]:42頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[237]:8頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[271]:16頁
文献(NDLサーチ・Amazon)
- 金子登美『金子家親族書付』 国立国会図書館サーチ
- 『金子家伝来薬調合覚』 国立国会図書館サーチ
- 觀順『小川江筋由緒書 全 附・金子氏改祭願』勿來文庫(1931) 国立国会図書館サーチ
- 金子郷土誌刊行委員会『金子家忠物語 剛勇の武人』金子郷土誌刊行会(1968) 国立国会図書館サーチ
- 野原威男「金子氏らの論説についての私見」航海、4頁(1973) 国立国会図書館サーチ
- 上毛郷土史研究会「石室を発掘 三郷村の金子氏」上毛及上毛人、49頁(1930) 国立国会図書館サーチ