野口(6)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
6武蔵の野口氏多摩郡に野口村ありて、同郡大久保七騎の一に此の氏存す、新編風土記に「此の内、野口氏は村民彌兵衞が祖先なり。世々匠人にて、今も其の業をなせり、家に北條氏照よりの文書二通を藏す。又元和三年、江戶四丸御普請の御用をはじめとして、同七年川越御殿、寛永十三年同所、同十七年府中御殿等の御普請の時も御用を勤めしと云ふ。其の戶村ちノキ-ノウチ ノクチノクチノクチローズル度々の書き物數通を藏せり。この餘六人の子孫も土人となりて村内に居住す」と見ゆ。また日向和田村の野口氏は「先祖を刑部丞秀房と云ひ、別に松月と號せり。三田彈正少弱綱秀が家臣なり。網秀·水祿年中、岩槻にて自害せし時、秀房からうじて命助かり、遂に當所に來り、民間に土着し、寛永年中八十九歲にて歿せしと云ふ。其の後のこと詳ならざれど、かの子孫たる事は疑ひなし、北條家よりの文書八通所持」すとあり。又平井村の名族に存し、又新座郡上保谷の名族にあり、開發の事に與りし氏也保谷條を見よ。又高麗郡にも存す、天正の頃、「野口刑部亟·五十五貫文、高麗郡の内平澤郷本〓」を宛行はる。又都筑郡市野澤村長見寺の開基者に野口氏あり。又埼玉郡實ヶ谷村の野口氏は「古へ隣村江ヶ崎村に住し、後當所に移りしと云ふ。小田原北條氏より與へし文書一通を藏せしが、二十年前燒失せるよし、其の文·村民の傳へには、武藏國川々奉行たるべきものなりとありて、武蔵國埼玉郡江ケ崎村野口彦五郞殿と記し、虎の印ありしものなりと云ふ」と載せ、又葛飾郡の野口次郞左衞門は海邊新田を閉發し、又足立郡に存し、又總社の社家に見え、又入間郡川角村の俳人に野口有柳あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)
華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)
新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之3:25頁
- 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之1-10:104頁、205頁