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都關(7)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

7居城尾張志等に據るに、「愛知郡稻葉地城(稻葉地村西北)の城主は、津田豐後守、其の子玄蕃九、其の子與三郞、其の子小藤次等也。豐後守は織田信長公の伯父にて十萬石を領知すといへり。天文五年丙申十月廿八日卒、同所凌雲寺に葬む、墓所、石碑、及び位牌あり。法名を凌雲寺殿前豐州大守泰翁凌公居士といふ。玄蕃允は永祿十二年己巳十月十六日に沒して、高岩勳公庵主といひ、與三郞は永祿三年廣申五月十九日、桶迫間の戰に戰死して、東英雄公禪定門、小藤次は天正十年壬午六月二日、京都本能寺に戰死して、千峯英公信士と云ふ。是より子孫連綿たり。この津田の支族裔孫村中に少からず」と。又春日井郡樂田城(樂田村)は「織田彈正左衞門尉久長築きて住す。其の後、津田下野守信〓·當城を攻めとり持城とす。永祿年中、信長公·信〓を追ひ、坂井右近政尙に守らしめらる」と。また犬山城は「木ノ下城主織田彈正忠信定の二男奧二郞信康、木ノ下城より當城に移る。その二男津田下野守信〓·これを守る。信〓は信長の妹聟なれど中あしく、信長に討たれて甲州に逃る」と見ゆ。織田系圖に信長の妹·津田出雲守室、またの妹津田九郞二郞元秀室」などあり。その他、丹羽村にも存し、又後世尾張の國學者に津田正生あり。猶ほ以下各項を見よ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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