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都押小路(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

大和國忍海郡名を負へる氏なり。忍海郡は和名抄に於之乃美、更に溯りて顯宗紀に於戶農瀰とあり、卽ちオシノミと讀むべし。履仲天皇の皇女飯豊青皇女·此の地に座して忍海郞女とも申し奉リ、億計弘計二王の天位を讓り合ひ給ふの間、當郡高木角刺宮に御座して天下の政を聽き給ひ、其の御名代として忍海部を殘し號衣御印押小路給へり。皇女は一に億計弘計二王(顯宗仁賢二帝)の御姉なりとの傳へもあれど、古事記に從つて履仲帝皇女とするを正しとすんっ皇位に登り給ひしや否やについては議論あれど、〓寧帝崩去後、天下の政を聽き給ひしや明白なりとす。よりて葛城忍海之高木角刺宮御宇天皇、或は飯豊天皇とも申し奉る。忍海部が皇女の御名代なるについては記紀に明記なけれど、上古の風習と前後の關係より見て正に然るべしと考へらる。而して皇女には御子御座さざりしによリ、御子代部と云ふを可なりとす。此の氏が天下に蔓りしは此の事實に基きて然るなり。(予は舊著に於いて忍海と凡海とを同一なりと論じたれど、再按するに兩者は之を區別する方穩當なりと思考す)。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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