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都丸(9)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

9登美朝臣用明帝の御奇か。拾芥抄に見ゆ。次項氏の後ならん。10登美眞人用明帝の御裔にして、延曆十年七月紀に「故少納言從五位下正月王の男·藤津王等言ふ、己の父の存する日、姓を請ふの表を作り、未だ上聞に及ばずして、奄に泉途に赴く。其の表に傅ふ、臣正月は、源流·巳に遠く、屬籍·將に盡きんとす。臣が男四人、女四人·王姓を蒙ると雖も、世を以つて之を言へば、正庶に殊ならず。伏して望むらくは、登美眞人の姓を賜ひ、以つて諸臣の例に從はんといへり、請ふ父の志に從ひ、順ふ姓を蒙むらんと欲すと。勅ありて請に從ふ焉」とあるに出づ。姓氏錄は、左京皇別に貫し「登美眞人。置用明皇子春目王(異本に來目王、又一に春日王)より出づる也續日本紀に合す」と載せたり。11紀伊の登美氏海部郡衣奈莊の豪族にして、登美岩守、岩彦、岩武等ありたりと云ふ。上山條を見よ。12雜載撰解文集に此の氏見ゆ。拾芥抄にトと トミトミトミートミオ300迹見トミ前條と通ず。○迹見首前條第二項と同一にて、鳥美物部の伴造家なるべし。用明紀二年條に「舍人迹見(首)赤樽、(物部)勝海連が彥人皇子の所より退くを伺ひ、刀を拔きて發す」と載せ、また崇俊卽位前紀に「爰に迹見首赤樽あり、大連を枝下に射墮し、而して、大連、井に其の子等を誅す云々。大連の奴半ばと宅とを分ちて、寺の奴、田莊と爲し、田一萬頃を以つて、迹見首赤橋に賜ふ」など見ゆるは此の氏人也。止美トミ前後數條と通ず、併せ見よ。。止美連毛野氏の族にして、登美首の連姓を賜ひし氏也。姓氏錄、河內皇別に「止美連。尋來津公と同祖。豐城入彦命の後也。四世の孫·荒田別命の男田道公、百濟國に遣はされて、止美邑の吳女を娶リ.男持君を生む。三世の孫熊次、新羅等、欽明天皇の御世、參ひ來る。新通の男吉雄·居に依リて、姓を止美連と賜ふ也日本紀に濁る」と載せたり。等彌トミ前後數條と通ず。。等彌直姓名錄抄、拾芥抄などに見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

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