部佐都由
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
勇九 イオキへイホキヘる事實によりて知るを得む。慶城部とは伊福部に異ならざれば也。16豊前の伊福部下毛郡に伊福邑あり、又後世伊福氏あり。17豊後の伊福部イフク條を見よ。18肥前の伊福部高來郡に伊福邑あり、又中世以後伊福氏榮ゆ。イフク條を見よ。19薩摩の伊福部五百木部條を見よ。20遠江の伊福部和名抄引佐郡に伊福〓あり、以布久と註す。又天平十二年濱名郡輸租帳に「新居〓伊福部阿麻呂、津築〓伊福部乎麻呂」等見ゆ。21武蔵の伊福部大同元年八月紀に武藏國白島を献ず。獲者、伊福部淨主に稻五百束を賜ふ、」と見ゆ。22常陸の伊福部茨城郡伊福部岳と云ふ地名も此部民と關係あるか。23陸前の伊福部五百木部條を見よ。24伊福部連伊福部の總領的伴造なり。尾張氏の族にして、天孫本紀に「若都保命、五百木邊連祖」と見ゆ。雄略紀三年四月條に湯人盧城部連武彥と云ふ人あリ.讒せられて死す。其父を枳苣喩と云ふ。安閑紀に「廬城部連枳直喩が女幡媛·イホキへ큰:一、伊知里伊福部小傳、加夜里伊福部賣子賣、日置〓荏原里伊福部奈具夜賣外六、國村里伊福部赤麻呂外十五名、足幡里伊福部子賣、滑狹〓伊福部宿奈外三人」見ゆ、以つて此の部民の廣く分布せしを窺ふに足らむ。11石見の伊福部當國にも此の部あり、伊福部直條を見よ。12播磨の伊福部伊福條及び五百木部條を見よ。13備前の伊福部和名抄當國御野郡に伊福〓を收め、伊布久と註す。此の部民の住居せし地なるや明かなり、其の後裔伊福氏、イフク條を見よ。14美作の伊福部五百木部條を見よ。15安藝の伊福部和名抄佐伯郡に伊福〓を載せ、又本國神名帳、佐東郡に伊福明神、伊福大刀自明神見ゆ。而して天長十年十月紀に「安藝國言ふ、力田佐伯郡人伊福部五百足、同姓豊公、云々」等を載せたり。此の部の多かりしを知るに足らん。而して此の國の伊福部も尾張氏の族伊福部連の管轄に屬せし事は、安閑紀に廬城部連根苜喩が罪の身に及ばむを恐れて、安藝國過戶、盧城部屯倉を献納した慶城部とは物部大連尾興が瓔珞を倫取り、春日皇后に奉る。事發覺に至りて枳貰驗·女幡級を以つて、釆女の丁を献じ、井せて安藝國道戶麿城部部屯倉を獻りて女の罪を贖ふ」と見ゆ。天武帝十三年宿福姓を賜.ho 25大和の伊福部連姓氏錄、大和神別に「伊福部連、伊福部宿禰同祖」と見ゆ。尾張氏の族類なり。26河内の伊福部連五百木部連條を見よ。27播磨の伊福部連五百木部連條を見よ。28伊福部宿禰天武紀十三年條に「伊福部連云々等、姓を賜ひて宿禰と曰ふ、」と見ゆ。姓氏錄左京神別に收め、「尾張連同祖、火明命の後也、」と註す。猶ほ五百木部宿禰條を見よ。29大和の伊福部宿禰姓氏錄、大和神別に「伊福部宿禰、同上(天香山命之後也)」と見ゆ。30伊福部直石見に於ける伊福部の部分的伴造にして、石見國造の一族なるべし。仁和元年五月紀に「石見國選摩郡大領外正八位上伊福部直安道」なる人見ゆ。五百木部連條を見五百木部連條を見又元慶八年六月紀に「邇摩部大領外從八位上伊福部眞人安道」とあるは直を眞人と誤寫せるなり。31伊福部君美濃に於ける伊福部の部分的伴造なり。三井田里戶籍に「主政進大初位下伊福部君福善、」また和銅七年閏二月紀に「從六位上伊福部君荒當田二町を賜ふ。吉蘇路を通ずるを以て也、」と見ゆ。其の他五百木部君、五百木部君族と云ふもあり、其の條を見よ。32伊福部臣因幡伊福部の部分的伴造な몽奈良朝の初め伊福部臣德足姫あり、其の慕誌銘、德川時代安永三甲午年六月二日、法美郡宮下村無量光寺の境內宇倍の山より堀出され、伊福部豊後の家藏となる(固幡志)。其の文は次の如し。伊福部氏墓誌。因幡國法美郡伊福吉部德足比賣臣は藤原大宮御字大行天皇御世、慶雲四年歲次丁未春二月二十五日、從七位下を賜はり仕へ奉る矣。和鋼元年歲次戊申秋七月一日卒する也。三年度成冬十月火〓卽ち此處に殲す。故に末代君等、崩壞すべからず。上件前の如し、故に謹んで錄す。和銅三年十一月十三日己未」と見ゆ。字倍山とは宇倍神社の鎭座地にして、而して本社の祠官伊福部氏なるを思へば、此