郞大(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
○乃別君△次段古乃別君1次志止國古乃別君次同比古乃別君廿三次奈太茶古乃別君次大古乃別君次金弓古乃別君子宅成-次得度僧仁德(廿九) -子春道-次秋繼子次秋吉子得度也當圓珍次福雄福福 福 州 の子小山上身FF (廿四) -子半郞自之子得足之子身之子大万呂子大庭之子牛麿子秋主*子繼雄·考本用は貞八八十十二二七日和氣ののをである(三代言)子長成子2後裔大倉愛馬氏·又目ニ「氏國命の長子を水別命と云ひ、其の子佐久口□別·又名を十城別命と云ふ(今新居郡四條町大字玉津に帰社飯積神社あり、祭神の一を十城別命と云ふ)。其の子を黑彥別の命と云ひ、其の子を爾閉古口□と云ふ。其の子二人あり、長子を倭子之別君と云ひ、次子を加藤古乃別君と云ふ。。倭子之別君の長子を圖須古之別君今新居郡大生院村に野津子城趾あり。又下島村に小字野津子あり)、關須古之別君の長子を波夜古之別君と云ふ(今新居郡大生院村に字早川あり、ハヤゴの轉訛ならん)。。加爾古乃別君の子を猿子乃別君と云ひ(今四條町大字玉津に小字號子あり)、猿子乃別君の次子を評造小乙下意伊古乃別君と云ふ(今新居郡船木村大字種子川に『ウブコヤマ』あり、生子山と書す、オイコの轉語ならん。山麓に村社新高神社あn、種子命を祀る。同社の緣起にCHC地は太古の世、種子命降臨の古跡なる故、種子川の名·始まる』云々。種子は「オイコ」と訓ずべく、種子命は即ち意伊古乃別君と同一神なるを知るべし)。長子を大山上川内乃別君と云ふ(前記大字種子川の本〓に元村社高知神社あり、今新高神社に合祀す。高知、川內、國音相通ずるなり)。意伊古乃別君の弟に龍古乃別君あり(今新居郡角野村大字立川山に村社龍河神社あり、此の村の產土神にて、龍河の神を祀る、龍河は「タツコ」の轉訛ならん。當國には河をゴと訓むの例多し)。以上、新居郡内に和氣系圖に示せる所の人名と一致せる所の地名の多きを見て、始祖武國凝別命の封ぜられ給へる伊豫御村別の所在地が、今の新居郡地方を含めること推知すべきなり。更に和氣系圖を按ずるに、儀子之別君の中子を評造小山上宮手古別君と云ひ、其の子を評督大建大別君と云ひ、其の子郡大領追正大下足國乃別君と云ふ。三代相襲ひて郡領を奉仕す。其の位冠に因りて、大化より大寶に至る間の郡領たるを知るべし。今の新居郡、卽ち當時の神野郡々領たることは、前段に擧げたる猿子乃別君以下の考證により疑なき所なり。就中、新居郡船木村に関係ある意伊古乃別君は評造小乙下を冠し、川内乃別君は大山上の冠位を有するなど、名門の跡·歴々たり。而して同村に池田の古池と稱する大池あり、大寶年間の築造に係るものゝ如く、彼の讚岐國那珂郡神野〓にある萬濃の大池と時代を同ふするのみならず、後者が伊豫御村別の分派によりて作られたると同じく、前者が大山上川內乃別君、若くは其の子によりて作られしならむ事を想ふ時、御村別の御名に因み、農村開發に力を盡し給へる御跡を景墓せずんばあらざるなり。宜なる哉、川内乃別君は御父意伊古乃別君、其の叔父龍河乃別君と共に、三者均しく千二三百年の久しき、高知神社、新高神社、龍河神社の祭神として、其の子孫の祭を享くる事、豈偶然ならんや」と。其の他は、新井、高市、賀茂、橘等の條及び次條參照。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)