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邊(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

-ナムハナムハ- ナムハタナムヒ-まで古松など所々にありて、古へのさまも想像すべし。又此所より西の方一町許を去りて、少しく高き所に五輪の石碑あリ。文字漫滅して讀べからず。其の傍に斷碑三基立てり、建武、永享、文安の年號僅に見ゆ、由來詳ならず。是等もし難波田氏の碑なるにや」と。た多摩郡に深大寺城あり、深大寺の南の方一町ばかり隔てゝあり。高さ二三十間の山にして、上の方は平地なり。東北はすべて深田、南には民家あり。西は平地續きたれば、こゝには堀の跡あり。:れは二三の丸の堀と見ゆ。小田原記、及び鎌倉九代後記等に「天文六年、上杉朝定·武州深大寺の舊壘を取リ立て、北條氏綱を退治せんとす」とあリ。相傳ふ、扇谷上杉家の士難波田彈正こゝに住せりと、當時のもろ〓〓記錄にも當城のことを載す。なほ金子條一六一一頁を見よ。又相州兵亂記、府中軍條に「享祿三年、上杉修理大夫朝興は、難波田彈正、上田識人以下、宗徒の兵五百騎を引率す」と。また「上杉朝興の子息五郞朝定は松山の城へ行き、難波田彈正をぞ頼みける」と。難波田彈正入道善吟の事は、上田條を見よ。下りて上杉景勝·難波田因幡守を機導として鉢形城を攻む。又入間郡大仙波村に彈正屋舗あり、筑後彈正の住居と傳ふ。恐らく難波田彈正の居かと云ふ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

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