遠藤
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
遠江守たりし藤姓の意也。文覺上人遺藤盛遠を出して其の名早く著はる。盛遣は攝津渡邊黨の人也。平家物語卷三、大塔建立の條に「〓盛未だ安藝守たりし時、安藝の國を以つて高野の大塔修理せられけるに、渡邊遠藤六郞賴方を雜掌に附けられて六年に修理畢りぬ」と。賴方·源平盛衰記には「渡邊黨に遠藤六頼賢」と見ゆ。次に文覺の事は盛衰記卷十九に곳覺は渡邊黨に、遠藤左近將監盛光が一男、上四門院の北面の下〓也。其母未だ子なし、夫妻共に家の絕なん事を歎いて、長谷寺の觀音に詣て、懷姙して儲たる子也。中略。丹波國保津庄の下司春木の二郞入道道善と云ふ者之を養ひけるが、三歲の時父盛光も死にけり。十三に成ける年、一門に遠藤三邸瀧口遠光と云者呼寄て、元服せさせて烏賴子子とす。父盛光が盛を取、鳥帽子親遠光の違を取て盛遠と名を付、父が跡を追て、上四門院の北面に參り、遠藤武者盛遠と云ける」と。又「文覺道心の起を尋れば女故也けり。文覺がために内感の孃母一あ70其昔事の緣に付て、奥州衣川に有けるが、歸上て故〓に住む。一家の者ども衣川殿と云ふ。娘一人あり、名をばあとまとぞ云ける、去れ共、衣川の子なればとて、異名には袈娑と呼ぶ。並の里に源左奮門尉渡とて一門也けるが、内外に付て申ければ、耻しからぬ事也とて、これを遺す。亘の心淺からずして、はや三年に成ぬ云々」と。盛遺の父は平家物語に「渡邊の遠藤左近將監持遠」とあり。遠藤氏は斯くの如く渡邊黨なれば嵯峨源氏かと思はるれど、綱の一族が何れも一字名なるに對して、遠藤氏が二字名なるを思へば、其の出自は別なりしならん。遠藤氏の出自につきては遠藤系圖に「朱雀院御時承平三年正月八日、民部〓藤原朝臣忠文·將門を追討する爲に、坂東に下向するの途次、違江國燒風(傳風とも云)里た備けし子也、是を燒風三郞公時と云ふ。子息國吏に付て京に上り、字を遠藤六郞、名を爲方と云ふ。攝津守たるに依りて攝州一國に遊び、意はず妻緣に付けて、渡邉なる宿に留り十人の子息等所生云々」と載せ、又「忠文-公時(一本公經、燒風三郞、遠江守、父忠文の將門追罸の賞に依りて、大遠藤の宣旨を蒙る云々)-爲方(惣官、遠藤六郞大夫、攝津守、窪津大夫と號す。是よリ當國渡邊惣官職始也。此の時宇治里より渡邊に移り住む也。一圖田文目錄をくりて十人の子息等のために、始めて田畑屋敷を立置、爰れ私領と今名號する田畠屋敷等是也」とあれど、忠文の後となす如き信ずるに足らず。相良系圖には「大織冠十代維幾-爲應遠江守、工藤助)-爲時(西戎追罸の勅使)-時賴-時文(中將)-維兼(相良元祖、天祿三年伊保介、天延三年遠江守、遠藤、寛和元年爲副將軍)-維賴-周時(遠藤介、號伊井別駕、遠江工藤大夫、延久五年紀友之末族·亂を爲す時仙洞を警固す)」と載せ、又維兼の弟に時金を擧げ「遠江工藤祖」とあり。而して其の頭書に「信名、按ずるに時金當に金時に作るべし、遠藤系圖に金時に作る者卽ち是也」と見ゆ。果して然らば、遠藤氏は藤原南家工藤氏の一族なれど、相良系圖も亦信用しがたき事はイトウ條に述べ猶ほサガラ條にて云ふべし。されば遠藤氏は又工藤氏の族とも云ひ離し。されど後世遠藤氏を語るもの何れも藤原南家工藤氏の族とす。然りと雖·相良遠藤兩氏共に遠州發祥の氏にして、相良氏の祖が遠藤介と稱するを見むた、兩氏は同族にて、井伊介、伊保介等と同樣遠江在廳官人より出づと考へらる。卽ち藤原南家と云ふは信じ難けれど、相良遠藤兩族は密接なる關係を有し、相良系圖の時金は遠藤系圖の金時(公時)と同人なりとの說恐らく事實にして、遠藤系圖が金時(公時)の父を忠文とするは、相良系圖時金の父時文の名が忠文と似る處あるが故と考へらる。遠藤系圖·爲方の子十人を擧ぐ、「太郞、ニ郎三郎、四郞、五郞、賴恒(總官、大六郎、大夫)、七郞(遠藤)、依成(遠藤八郞)、某(遠藤九郞)、永嚴(遠藤十郞房、總官)」これなれど、內賴恒、依成、永嚴の三人のみ子孫を擧ぐるを思へば、他は遠江に殘りしにて、系圖所載遠藤氏は渡邊黨遠藤氏に過ぎざるならん。而して渡邊黨との關係は前引爲方の譜これを云ひ、又永嚴の譜に「此時始一文字輩、自當國豊島郡箕田里渡邊所來往也)と載せ、又永嚴爲〓〓官遠藤太-女子モ子御乳母女子連勝四郞大夫骨動變爲忠見第三、當口左馬大夫萬日讀大女子一重-視-番-台門四--梗口おれんお召しエムトウ滿九九九滿省-授-繁九九九道府二郎昇-競兵き割渡口十郞房-語-名-告-契·エルなど見ゆるにより知るを得。次に遠藤八郞依成の後は、其の子爲依田家、後號天王寺永順)-永覺(天王寺執行、十禪寺)、弟實順(同、上座)、弟還順同號四郞房修理勾當)-辨順(天王寺執行、上座)、弟行順(上座、十禪師、章名長蓋丸)-國順-光順」等見ゆ。次に、大六郞賴恒の後は「賴恒某太原盛遠國太郎、口四官、親文覺上人、高尾寺住之-某二郞-爲明王子-第同郞左衞門を開말1爲光-爲恒-爲俊量一爲家-家國唇本名考記十郎爲房三轉送提供左近弊監1爲助爲長爲盛-盛綱-盛正-盛安:通知六郎むねぎ6合九島太郎太郎獨家人口 四左兵直樹週六十夫优內含人-爲員1爲綱道五二助-助網內會人爲通過酷法處理大、大-賴通君子爲我 一近一七重兼文上野守自五香蕉一實依-爲俊利內國會原云々十郞右衞門尉-忠忠-爲信-信恒週口左馬大夫愛人: -爲次子子在戶式會所〓爲元女子爲正お好き爲光道路夫愛心-助宗香む口感貞綱道産四郎-貞方-爲安-賴方-最方-重方六郞大夫I和泉配信盛歸進提供爲澄-爲任七ル五郞入道恒方鳥眼守ー家方總理提供羅國八郎兵奇財-廿木馬-盛延-盛方左-盛義內含人右馬九とあり。内·貞方の裔、平家時代榮えしと見え、その孫賴方に「遠藤六耶大夫、和泉、紀伊、攝津三ヶ國總追捕使、平家の時一家長者」と載せ、其の子「景方(瀧口左兵衛尉)-重方(二郞)、時方(中宮三郞)、近方(兵衞太郞)、金太」と見え、又賴方の弟「恒方〓摩守、天王寺〇〇、總追捕使)-家方(薩摩八郞兵衞尉)-某(太郞)」と載せ、又恒方の弟「盛延(總官、白木新藤武者、平家の時、鎭西菊知城郭を盛延落す。動功に惣官職賜之者也)-盛方(同左衞門尉)」とあり。内賴方は平家物語に見え、又盛衰記に賴賢とある事前述す。鎌倉以來·盛遠の第爲家の後榮えしが如し。「爲家(本名考能、十郞、左近將監) 1