轡田
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
越中國婦負郡響田邑より起りし豪族にして、三州志、新川郡東岩瀨城條に「永正二年赤川出雲守久次·城主たり。然るに今年長尾爲景之を攻め、爲景の麾下の金子監物、久次を討ちて城陷る。此の後書傳なし。或は云ふ、轡田修理太夫、井に神保より、此の城に番兵を置けるを、謙信圍んで城陷ると也」と載せ、又新川郡大村(在長榎〓大村領)條に「天正六年、謙信下世により、構田豐後之に據るを、景勝攻めて、等田戰死せりと云ふ(按ずるに此の後、菅田肥後と云へる者、本記に見ゆ。疑らくは豐後は肥後の父か)。又云ふ、丹羽源太居たりと、成政の時か未だ之を考へず」など見ゆる響田肥後は、これより前、謙信·能登國風至郡甲山城を陷れて、肥後、及び平子和泉等を置きしが、温井氏等に欺かる云々」と云ひ、又景勝の將鳳至郡甲山の城主帶田肥後など物に見ゆ。〓和源氏也と稱す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)