赤野(3)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3備前國和氣郡安養寺所議應仁三年の奉寄附安養寺田地事に赤ノ彥次郞を載せたリ。吾川アカハ、ワカハ和名抄土佐國吾川郡を安加波と註し同郡内に吾川〓あり。又伊豫國伊豫郡に吾河〓あり、流布本和加波安西軍策に山代の一揆に赤アカナヘアカナヘ-アカネアカネ-アカハ三 アカハアカハ-アカハキす。其子掃部尤綱康も數度戰功を顯はし、大永三年石見國にて戰死せり。其子孫七郞康次は天文三年七月二十日豊後國にて討死せしが、子なきを以て其弟乙若丸家を繼、彌七郞康長と名乘、天文二十年陶尾張守晴賢謹反の時尼子氏へ使者として赴き、後石見國に退去せりと云。大内記に『天文二十年八月二十九日義隆、阿川太郞隆康を使として冷泉判官黑川近江守等が陣所へ遺はせしに、隆康彼陣所に至り命を傳へし後ただちに落行し』とあり。是康長が一族などなるべし。康長が子三郞兵衛康久はじめ關東に來り、岩槻の城主北條氏に仕ヘリ。天正十八年彼城沒落の後當村に土着して今の三郞兵衞まで五代なりと云、所藏の文書十一通あり」と載せたり。赤場アカれ日下部氏の族なる朝倉氏の庶流と云ふ。