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赤橋(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

相模國鎌倉鶴岡八幡の赤橘より起る。尊卑分脈に義時-重時-長時-義宗-久時(號赤橋)と見え、其子守時は鎌倉幕府十六代の執權なり。桓武平氏系圖には長時(號赤橋殿)と見え、北條系圖には武蔵守義宗、赤橋駿河守(建治二年八月十七日卒)其の子刑部少輔(武藏守)久時、其の子相模守守時(錢倉に於て自害)其の子益時と記す。守時の弟に左近將監時英及び酸河守宗時あり、又宗時の子に駿河太郞重時あり。太平記三に赤橋尾張守、十に赤橋前相模守盛時、十一一に「伊豫國には赤橋駿河守が子息、駿河太郞重時と云者有て立烏鞘子峯に城を拵、四邊の庄園を掠領す」と見ゆ。立烏朝子山は伊豫温泉郡にあり。新編武藏風土記荏原郡條に「嚴正寺法圓上人は北條陸奥守重時の五男にして幼名を時千代と云ふ、箱根別當所にて薙染して名を重圓と改む。寛元元年の春、叡山に登り兩界祕密の灌頂を承け、十八歲の春より南北に名師を尋ね名を法圓と改む。按ずるに北條系圖に重時六男一女ありて法圓を載せず幼稚にして出家せしにより略して記さざる敷第二世法密上人は法圓の兄、近大夫茂時の子なりと云ふ。茂時も系圖には見えず重時の子に赤橋太夫將監長時、鹽田左近將監義政二人ともに男子一人ありて法密の事は見えず、法密はやく密〓を奉持して奥旨を極めたり」と見ゆ。赤埴アカハニ、アカバネ下野國芳賀郡赤埴(後世赤羽)及び大和國宗陀郡赤埴村より起る、從つて二流あり。

系図・系譜

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