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財(大友氏流)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2大友氏流上野國佐位郡に波志江の城あり。名跡志の傳ふる傳說に據れば「佐位次官·此に居る。元曆中、源頼朝に屬して功あり」と富田氏曰ふ「佐位の次官は、蓋し齋院次官大友親能を言ふなり。鎌倉武鑑に、親能·上野に在城すと。蓋し此れならん」と(地理志料)。地名と官名とを混同するにて、この說非なり。傳ぬ敵』と嫌うたり。富部の三郞·申けるは、『和君は軍のあれかし、氏文讀まんと思ひけるか。家俊が祖父、下總左衞門大夫正弘は、鳥羽院の北面なり。子息左衞門大夫家弘は、保元の亂に、讃岐院に召されて、仙洞を守譲し奉りき。但し御方の軍破れて、父正弘は陸奥の國へ流され、子息家弘は伐たれ奉りけれども、源平の兵の數に嫌はれず。正弘が子に布施三郞惟後、其の子に富部の三郞家俊也。合や合ずや、組んで見よ』とて、十三騎·樽並べて、をめきて蒐かる。十三騎と五十騎と、散々に亂れ戰ひければ、富部が十三騎、四騎討たれて九騎になる。四の七郞が五十騎、引きつ討たれつ、十五騎になる。大將軍は互に組まん組まんと、寄合ひけれ共、家の子郞等、推し隔リ〓〓りて防ぐ程に、共に隙こそなかりけれ、」と。その後、宮部は西に討たれ、西は富部の郞等杵淵小源太重光に討たれたり。西はサイにて、左井氏に同じ。尊卑分脈に一秀〓-千常-文脩-兼光-賴行-兼行(淵名大夫)-行房(上野國住人、林六郞)-行家(左井七郞)」と載せ、また佐野阿曾沼系圖に「淵名大夫兼行の子行家(左井三郎)」とあると同一ならんと考へらる。此の氏の事、なほ佐井條を見よ。佐尉サイ豐後の佐井〓は、風土記に佐尉に作る。その他因幡、筑前等に此の地名存す。佐井サヰ和名抄、上野國佐位郡に佐非〓あり。郡名もサヰ也。次に因幡國八上郡に佐井〓、豐後國海部郡に佐井郷あり、後に大佐井、小佐井の二郷となる、圖田帳に見えたり。其の他、陸奥、加賀等にも此の地名存し、又佐爲、佐位、左井等と通ず。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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