財部(9)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9筑前の吋部川邊里戸籍に、財部阿麻また賓亀元年七月紀に「筑前國嘉麻郡人財部字代、白雉を獲て、爵·人ごとに二級、稻五百束を賜ふ」など見え、又貞觀十一年十月十五日の文書に財部貞雄などあり。10肥前の財部當國三根郡に、財部〓あリ。11日向の財部諸縣郡に財部〓あり。また大隅國圖田帳に「財部院。謀叛人·故有道有平の子孫、今に之を知行す」と見ゆるアリミチ條參照。12財部造財部の伴造家の氏なり。承和四年十一月紀に「加賀國·言ふ、管能美郡人財部造繼麻呂、父母存する日·定省の禮あり、沒後も操行·變ぜず云々」と見ゆ。財造氏に同じ、タカラ條參照13財部宿禰財部造、又は連の宿禰姓を賜へる者にして、萬壽三年三月廿三日の大宰府解に「正六位上行少監財部宿國一(符宣抄)、また同四年九月四日の府解に「正六位上行大典財部宿福」を載せ、又長元三年三月廿三日の大宰府解に「正六位上行大典財部宿禰恒孝」など見ゆ。14筑前の財部氏第九項、及び前項の族裔にして、寛仁三年、刀伊入寇の際、太宰府注進·動功を成す者に、擬撿非違使財部弘延あり。又異稱日本傳引く古記に「財部九郞·蒙古を撃ちて之に死す」toまた宗氏家譜に財部內膳を載せたり。15藤原姓對馬の財部氏にして、もと駿河より來ると云ふ。太祝詞神社の社司也。16藤原姓財部系圖に「財部左京亮藤原調元·先祖は、代々志賀大明神の祠官を勤to一說大職疑鎌足公の後胤、遠江國主駿河守長澄、一條院御宇、始めて丹波國多記郡従山に住む。財部頭長光とあり。古來は久田と申し、亦財部と申し候、年號不詳」と見ゆ。(長町奥彦氏)。17土持氏族日向國には諸縣郡財部〓の外、那珂郡にも財部邑あり、此の地より起Io土持七頭の一にして、土持系圖に「齊衡中、飫肥秀綱·財部〓を食み、子孫因つて氏とす」とあり。また日向纂記に「土持七頭は、次第に滅亡して、後には唯軽と財部の土持ばかりぞ殘る。康正二年、財部の土持左衞門尉景綱、こらへ兼ね、鰹の土持太郞宣網と謀を合はせて伊東を攻めんと企てける。同年十一月、伊東より新納の目白(一に根白に作る)に押寄せ、燒拂ひければ、土持勢も財部も作原にて防戰す。明くる長祿元年、伊東より再び大軍を催し、財部を攻む。縣よりも加勢として財部表に出張す。祐堯は鉢の窪に本陣を居ゑ、合戰ありけるに、左衞門尉景綱は小浪川にて打死し、味方は勝に乘つて、直ちに財部の城に攻めかゝり、九月十二日土持家より財部の城を相渡す」とo又日向記に「倍木は財部殿」など見ゆ。18大隅の財部氏日向國諸縣郡財部然より起る。後囎唹郡の地にして、龍虎城(財部、櫻木村)は、財部六郞正信の據りし城なり。後北〓氏、新納氏、伊集院氏等、屢々其の主を代ふ。慶長四年、伊集院忠眞の將伊集院甚吉、猿渡肥前等、當城にて島津氏と戰へり。城内本丸、二九、財部城、飯地、池の上、小城、櫻城、中丸、外城、野頸、松尾、和田尾の十二に區劃さる。伊集院、北〓、新納等の條を見よ。また島津分限帳に財部孫之丞を栽せ、また近き世、財部將軍(彪)あり。19雜載また津輕等に此の氏存す。當國三根郡に、財部〓あ タカラマ-タキ
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)