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貞(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

書方(盛信)-新大夫貞光-貞直(福津神平) -貞信(浦野三郞)」とあり。されど異說ありて、或は源姓と云ひ、或は藤姓と云ふ。卽ち佐々禮石に「浦野城、六孫王經基の二男鎌守府將軍滿政六代の孫四郞重遠此所に住し、〓名を以て浦野氏と稱し、信濃守に任じ、後代々居住、永正年中村上家の幕下となる。浦野民部衛門九遠隔(私日初幸次)。天文十四(乙巳)年武田家に降リ、水内郡割ヶ嶽城、並に川中島合戰等に數度の軍功有、天正十(壬午)年三月十五日、武田家沒落後、當所を引拂ふ。因つて浦野一族と曰ふ。宗波軒信慶、彌三左衞門政吉、新左衛門定次、源左衞門幸守、久左衞門吉忠等數家有り。一門殘らず武田家に降り、川中島、天目山等にて軍功ありと雖多く減亡、今御旗下に一二家の末葉有、民部左衞門の系にあらざればしるさず、」と見ゆ。內浦野宗波軒信慶等は生島足島社の起請文に見え、又新編會津風土記所載天文廿四年(乙卯)七月十九日晴信朱印の文書に「今十九於信州更科郡川中島、逢一戰之時領豪討捕之條、神妙之至感入候、彌可抽忠信者也、仍如件、浦野新右衞門どの」と見ゆ。(此の浦野氏或は村上氏一族とも云ふ。) 3上野の浦野氏吾妻郡の名族にして、上野國志·吾妻郡大戶條に「何れの時よりか、浦野氏此處に居る、宗長紀行に『大戶と云ふ所、浦野三河守が宿所にやど3.と云々」と見え、又加澤記に「浦野云々七人」と。我妻七騎の一にして「三島·浦野半兵衞、右賴朝公三原野狩の時召出さる」とあり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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