豐島村(中原姓)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
6中原姓(稱源姓)尾張國中島郡大屋邑(又大矢邑)より起る。東鑑養和元年三月十九日條に「尾張國住人大屋中三安責·遂倉に馳參じ申して云ふ。去る十日侍中·墨俣河に於いて平氏等と合戰、侍中從軍、悉く以つて滅亡、平家勝に乘るの間、其の所を去り、熱田社に籠られ訖る。一陣敗るゝの上は、重衛朝臣以下定めて近來すべき歟。當國在廳等、多く以つて平氏に從ふの處、安資·忠直を抽んず、尤も神妙の旨、仰せ含めらる云々」と。又元曆元年四月三日條に「尾張國住人大屋中三安責、其の功あるにより、元の如く所帶を管領し、剩へ國中狼喉を鎭むべきの由、御下文を給ふ。筑前三郞之を奉行す。常國輩、悉く以つて平氏に順ふの處、安資は和田小太郞義盛の聟たり、獨り源家に候するの間、此の如し云々」と。猶ほ卷八に大矢中七、卷十五に大屋中三あり。此等によれば、本姓中原にして、在廳官なりしかと考へらる。然るに後世源氏と稱し、前項の後と云へリ。愛知郡廣井八幡の舊記に「〓和源氏、下野守滿快の裔孫、大屋中三安資の末孫大屋右京進秋重(今川左馬助氏豐に屬し武事を勒す)、大矢三郞大夫重元」と見ゆ。秋重、又右京亮と云ふ。これより先、應永年間、右京亮秋家あり、共に廣井村人也。八幡の禰宜たり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)