蜂塜
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
伯耆日野郡の豪族にして、安四軍策に江美城主峰塚右衞門尉を載せ、名和氏記事には蜂須賀に作る。軍策に「伯耆國江美城沒落の事。伯州江美の城主條塚右衞門尉は、先年尼子を背き、元就へ一味しけるが、如何思ひけん、又尼子へ成り歸る。毛利家へ此の由·聞えければ、元春·杉原播磨守盛重に蜂擊伐つべき由下知し輪ひ、撿使と爲して、今田上野介、二宮木工助、森脇一郞右衞門等を差し添へられ、各々八月五日に打立つ。三保關よリ舟に乘り、押渡る。夜半に蜂塚が館へ押寄せ、放火しければ、敵は舘を明け、盡く城に引籠る。翌朝、寄手三千餘騎·城の左右の山頭へ上り、鐵炮を揃へ逆落に打ちくく雜兵共堪え兼ねて、城中より崩れ出しけるを、追ひ詰め、一人も殘らず討ち果せば、峰塚·今は叶ひ聞數とて、腹掻き切つて失せにけり。杉原、今田等、數百人が首を取り歸りければ、元春·各々の戰功を感じ給ひけり」と見ゆ。その他ハチスガ條を見よ。ハチテウFAXE
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)