虎
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概要
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姓氏家系大辞典
芸ウル七三ウレ大五五ウロ表さウワ九九、島ウ漢土の氏なり、小吳金天氏の後としものなるによりて、熊野をば吾儘に管領云ひ、又甘肅匿州なる西戎の齋なりとも云す」とあり。以つて極めて古くよリ此の地ふ。神亀元年二月紀に「鳥安廊呂、」また天方にありし豪族なるを知るべし。平六年十二月紀に「外從五位下鳥安麻呂、1丸子姓傳說に據れば、「李昭天皇の朝、下村主の姓を賜ふ、」など見ゆ。下村主は光漢の司符將軍の嫡子眞俊·權現を榎木の武帝の後と稱す。本に勸請す、よりて榎本の氏を賜はり、字井ウヰ熊野新宮黨の一なり、平家物二男基成、猪子ならびに飼餅をすゝむ。語卷四に「新宮には鳥居の法眼、高房法此によりて丸子の姓を賜はる」と云ひ、眼、侍には、うい、すゝき、水屋、亀甲、又二男「基成を宇井と號す、」とあれば、那智には執行法眼以下都合その勢一千五百丸子の後筒ならんかと考へらる。されど餘人」と見え、又源平盛發記に「爰にウイ、前田氏の呈語には「元は秘積氏にして、ススキ黨と申すは權現·摩伽陀國より我朝後丸子氏に改む」とあり。ススキ條を見へ飛渡り給ひし時、左右の趙と爲てわたりよ。宇居兼純より此の氏著はれしが如六一