コンテンツにスキップ

藍染

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

藍染に携はりし品部(トモベ)にて、令集解染戶の條に、「藍染卅三戶、倭國廿九戶、近江國四戶、二戶には女三人を出さしめて役し、餘の戶には每丁薪-子を憲信といふ、憲信も南朝に屬して綸旨を賜ふ。憲俊の子を三郞左衛門尉能俊といふ。檢非違使左衛門少尉出羽守を兼任す。又兵部大輔にも任ぜしにや、日高郡南部庄西本莊村祇園御靈宮明德四年の棟札に、愛洲兵部大輔源能俊とあり。弟下野守責俊南朝に屬す。其後數代を經て武兵衛直俊といふもの泉州經井の合戰に討死す(中略)。南朝記傳に『延元元年四月五日、南方にて愛洲宗貫に伊勢國朝明郡の地頭職を賜ふ』とあれど、其名系圖に見えず」など見えたり。前引紀州武田系圖も牟妻郡日足村より出でたるものなれど、此の系と一致し難き點尠からず。かく其の系統の點については明確を缺く點多きも牟婁郡より日高郡に勢力を振ひし事は史實にて、牟婁郡中三栖村衣笠山城は文永の頃、愛洲八郞源經信の居城と傳へられ、又同郡秋津莊は愛洲元俊、同長俊の所領にて、下秋津の鷹巢城は三郞長俊の城跡と云ふ。而して日高郡南部莊を領せし事は西本莊村祇園社明德四年の棟札に領主愛洲兵部大輔源能俊、次に應永三年の棟札に地頭愛洲兵部大輔入道沙彌明禁など見ゆる事よりも證明するを得。2を採らしむ。品部と爲して調役を免ず」と見えたり。

系図・系譜

関連論文

外部リンク