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薪井庄(6)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

6內眞人天平勝實三年紀に「元位等美王に內眞人を賜ふ」と見え、其の後孝謙ウチ発天皇詔勅草に內眞人糸井と云ふ人見えたリ。皇族なる事明白なるも、出自詳かならず、蓋し幾程もなく衰微せしに因るべLo 7後世の內氏類聚符宣抄卷十に右馬史生內則思(天曆七年六月)見ゆ。蓋し第一第二項內臣の後裔なるべし。有至ウチ欽明紀十五年條に有至臣あリ、內臣に同じ。蓋し百濟史料にかくありしならむ。宇智ウチ和名抄·大和國字智郡、山城國綴喜郡等に有智〓あり、共に內氏の緣故地なる事既に云へり。其の他遠江國山名郡に宇知〓、同國濱名郡に宇智郷、美濃國武藝郡に有知〓あり、此等は地形地勢より來りしものか。○宇智眞人延曆元年六月紀に「宍人建麻呂の男女、神野眞人淨主、眞依女等の十四人、弟宇智眞人豐公、爲つて眞人と改む。本姓に從ふ云々、」と見ゆ。蓋し前述内眞人の裔と假冒せしものか。有智ウチ字智に同じ、前條を見よ。字知ウチ字智、內に同じ。有知ウチ同上。氏ウヂ氏は内の意にて同宗一家を表はす名、卽ち家名たりしなり。此意に於て苗字に同じ。唯氏は賜氏姓の事始まり、半官半私の物となりたるを以て、苗字の如く容易に改むる能はざりしが故に、比較的永續性を帶ぶるも、其の實質は苗字と異なりたる事なし。殊に上古の氏に於て然り。此氏は第三期(開化朝より仲哀朝に至る)頃よ名、り發達せしものにして、職業名を冠する習慣より起り、最初は人名に地遂に永續性を帶びて、氏なるものを生ずるに至れるなり。詳細は(日本上代に於ける社會組織の研究)を見よ。されど此の氏なる語も、亦氏として用ひられしものあり。蓋しウヂと云ふ地名より起り、更に氏なる文字を當てしに過ぎざるか。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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