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萱野(4)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

4攝津の源姓豐島郡萱野邑より起りし豪族にして、鎌倉時代より芝村一帶の地を領す。其の後裔恒時·伊丹城主荒木村重に屬せしが、天正年中茫木氏亡びて所領を失ふ。其の孫恒產に至り、大島氏に仕ふ。恒產三代重利に二子あり、長は重道にして次男を重實と云ふ、これ赤穗義士萱野三平也。その幕·萱野村大字芝(L)崎街道を距る三丁千里山の麓)にあり、苦碑六尺の面·題して「萱野三平墓」といふ。之れ戯曲の所謂早野勘平の墓なり。書は三平生前の恩師京の百拙相尙の筆に成り、墓誌は堀正修(南湖)選す、自以せ古き氏なカヤウーカヤツカヤヌマー カヤノ-カヤノキし門長屋八疊の室現存して、塚草弔客の涙を濕さしむ。その萱野三平墓誌銘に「三平名は重實、攝津州萱野〓の人也。其の先は鎭守將軍源頼光の第六男信濃守國房より出づ。房の裔孫左京大夫頼益、建久正治の間に於いて、攝津州萱野を食邑し、萱津氏と號す。萱津は卽ち萱野也。其の後、恒次·萱野長谷の兩〓を食み邑民之を萱野君と云ふ。其の後、大隅守恒時·三十有七村を領し、荒木氏に屬す。荒木氏亡びて領邑を失ふ。恒時の子恒孝、恒孝の子恒產大島氏に事ふ。恒產の子恒重、恒重の子重利、皆其の祿を食む。重利男あり、長を重通と云ふ、三平は其の次也。三平十三歲の時、大島羽州の言により、內匠頭淺野侯長矩を赤穗城に見、遂に之に臣事し、東西隨從す。元祿十四年三月十四日云々」と(後藤捷一氏)。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[40]:13頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[91]:111頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[93]:35頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[151]:37頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[224]:105頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:85頁

系図・系譜

関連論文

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