英禰
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
前述の如く蘆州阿久根より起る。「源賴光の臣四天王の一人、平貞道、碓井荒太郞より八世の孫神崎太郞成兼は、寛元四丙午拾二月鎌倉殿の命により富岡英禰に下向し、始めて英禰を領す、因て氏を英福に改む」と云ふ。薩隅日地理纂考、英禰城條に、「寬元四年十二月鎌倉の命に依て神崎太郞成兼當國に下リ始て英禰を領す。因て氏を英顧と改む。始め賀喜ヶ城を治所とし、後當城に徒る。成城は平貞道より八世なり、成兼より、二代成秀、三代成光、四代成網、五代成友、六代成忠、七代成重八代成時、九代良忠、十代良守まで家譜に見えたり。又其庶子を遠矢次郞太郞成長といへり、足利尊氏に從ひ屢々軍功あり、代貞勝、三代伊成、四代貞成、五代成政、六代成澄までにて以下系圖詳ならず、後薩摩家に屬して數代承襲せしを、漸々勢衰へ天文年中島津義虎家臣有馬伊豫純秀(現作澄)代りて城主たり」と見え、また新城「永祿年中、英祠播磨平良正居城なり、良正は當〓の永祿六年の舊記錄に、當地頭阿久根播州云々とあり」と。英禰系圖には平貞道八世の孫成兼、神崎太郞と稱す、建久中、(又寬元四年十二月四日とも云ふ)。英禰院所司に補せられ、因りて英國氏と稱す」と見え、建保五年文書に英禰郡司兵衞尉友成、阿久根諏訪社文安二年古鏡の銘に、願主平良末、同長祿二年の銘に兼次、又天滿宮天文二十三年梁牌に、地頭平良正、山下蓮華寺文書に地頭阿久根播磨守平良正等あり。良正は薩州家の臣にして阿久根新城に據る。次に大隅の阿久根略系圖には「此阿久根氏は平姓なれど其の出自分明ならず。