花園
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
山城圖山科の興正寺は眞宗一派の本山にして、寺主·近年花園氏と稱し、華族に列せらる。寺祖經豪は、山科眞正寺(一名佛光寺)十四世経畧の含兄にして、文明年中、本願寺兼壽(蓮如)に謀り、僧侶四十二人、門徒數萬を分割して分立し、兼壽の庇蔭に入る。同七年、本願寺と同じく山科の野村の地に、更に興正寺を起す。天文元年、本願寺南遷の時、亦同じく、攝津、紀伊に遷移し、天正十九年此に歸着し、全く本願寺の所管たり。されど出自を異にするを以つて、明治九年別に一派の本山と爲る。寺祖經豪は花恩院と稱+0或は花園に作る。俗書に興正寺顯高(一名顯尊)上人、正親町天皇より門跡號を賜ふと。其の據を詳にせず(地名辭書)。佛光寺、興正寺等の條を見よ。氣賀ケガ遠江國引佐郡に氣賀莊あり。後宇多院御領目錄に一修明門院領遠江國氣賀莊、」東寺百合文書にも見ゆ。此の地より起るか。信濃に此の氏あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)