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舍人

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

職名の一にして、古代以來.天皇、皇子達に近侍して雜役に仕へし者を云ふ。内·天皇に仕へし者を特に大舍人と云ふ事あれど、多くは通じ用ひたり。又皇族の舍人には帳内と載せ、諸臣には資人と記せしものあれど、皆此の類也。古事記應神段に「詐りて舍人を以つて、王(チ)運能和紀郞子)と爲し、露に吳床に坐して、百官恭〓·往來の狀、既に王子の坐所の如し云々、」と載せたるを初見とすれど、より古く存せしなるべし。次に仁德段に「天皇·大后が山代より上り幸でましぬと聞看し、舍人·名は鳥山と謂ふ人を使はしける」と。次に履仲紀に近習準人·刺領巾、」體仲段には「近習墨江中王の華人·名は曾娑加理」と。次に尤恭紀七年條に「一會人·中臣鳥賊津使主、」次に雄略紀卽位前紀に「大會人、」また「黑彥皇子の舍人、」また五年條に「傷從·樹に綠リて大いに懼る。天皇·舍人に詔して、曰さく云々、」また十四年條に「密かに舍人を遣はして、裝餝を視察せしむ」等、以下記紀に多し。其の中にて人名の見ゆるは、用明紀二年條に「舍人迹見赤槽、」また皇極紀二年條に「舎人田目連、」また齊明紀に「舍人新田部連未麻呂、」また天武前紀に「舍人朴井連雄君、縣犬養連大伴、佐伯達大目、大伴連友國、稚櫻部臣五十滿、書首根麿、書首智德、山背臣小林、山背部小由、安斗連智德調首淡海の〓·二十有餘人、」また「屯田司舍人·土師連馬子」など見ゆ。中古に及びては、大舍人、内含人、東宮舎人等あり。大舍人は職員令、中務省所管に「左大舍人察(右大含人察も准ず)。頭一人·左大舍人の名帳、分番、宿直、假使、容儀の事を掌る。助一人。大允一人。小九一人。大屬一人る小屬一人。大舍人八百人。使部廿人。直丁二人」と載せ、又內舎人は、中務省條に「內舎人九十人·刀を帶びて宿衞し、雜役に供奉す。若し駕行のときは同後を分衞するを掌る」と載せたり。而して天武紀二年五月條に「公卿大夫、及び諸臣連、井に伴造に詔して、宣ほく、夫れ初めて出身する者は、先づ大會人として仕へしめ、然る後、才能を選蘭し、以つて當職に充つ」など見ゆ。次に東宮の舎人は、東宮職員令に「舍人監正一人·舍人の名帳、禮儀、分番の事を掌る。佑一人。令史一人。會人六百人。使部十人o直丁一人」と載せたり。帶刀條參照。次に幅内は、雄略紀に「市邊押磐皇子の帳内日下部使主、」次に題宗紀に「(市邊押磐皇千ノの帳内日下部使主、」次に孝德紀に「(古人大兄命)の帳内」、など見ゆ。令の制度にては、式部の判補とし、六位以下の子、及び庶人を取る。一品は百六十人にして、ニ品、Sume四日、順次二十人を減ず。次に資人は、崇峻紀に「物部守屋大連の責人·捕鳥部萬」など見ゆ。此の外、雄略紀九年條に「大伴談連の從人·同姓津麻呂、」また繼體紀二十三年條に「毛野臣の像人·河內馬個首御狩、」また皇極紀三年條に「大又武藏臣云々。恒に五十兵士を將ゐ、身に繞らして出入し、健人と名づけ、東方債從者と曰ふ」など、皆此の類なり。而して正式に朝延より賜はれる例は、持統紀十年條に「正廣參位右大臣丹比眞人に資人一百廿人を、正廣肆大納言阿倍朝臣御主人、大伴宿禰には、並に八十人を、直廣壹石上朝臣麿、直廣貳藤原朝臣不比等には、並に五十人を假賜す」と載せたり。また位分資人(位に應じて給ふ)、職分資人(職によりて給ふ)の別あり。又授刀資人なるも見ゆ。以上は舍人制度の大體なるが、古代にありては、歴代の聖帝·多くの場合、其の使役し給ひし舍人に、御名、若くは宮名を負はしめ給ひ、御名代部として後世に殘し給ふを例とせり。以下含人と云ふを氏とするは、其の後にて、御名代の最も一般的の者とす。猶ほ舍人部條を見よ。1 (石上部)會人御名代部の一種、イソノカミノトネリ條を見よ。2 (内)含人職名の一、總說にて云へリ。3 (他田)舍人御名代部の一、オサダノトネリ條を見よ。4 (大)會人職名の一にして、雄略紀、及び天武紀に見ゆ。總說中に云へリ。(金刺)舍人御名代部の一、カナサスノトネリ條を見よ。(川上)舍人御名代部の一、カハカミノトネリ條を見よ。7 (川瀨)舍人御名代部の一か、カハセノトネリ條を見よ。8 (久米)含人御名代部の一か。クメノトネリ條を見よ。9 (白髪部)舍人御名代部の一、シラガペノトネリ條を見よ。10 (檜前)會人御名代部の一、ヒノクマノトネリ條を見よ。11 (日奉)舍人職業部の一か。ヒマツリノトネリ條を見よ。12舍人造會人部の伴造たりし氏なり。古く天神本紀に「五部造。伴領(トモノミヤツコ)と爲りて、天物部を率ゐ、天降り供奉す」とある五部造の一に、此の氏見ゆ。其の後、天武紀十年條に「舍人造〓虫云々、姓を賜ひて連と曰ふ」など見ゆ。13 (川瀨)

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

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