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臺(菊地氏流)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

1菊地氏流字土郡宇土邑より起り、此の地神山字土城に據る、城は中關白道隆公の創めしものと傳へらる。此の氏は菊池氏の族にて、菊池氏は道隆の後裔と傳へらるればならん。菊池系圖に「武朝-兼賴-持朝-爲光(宇土彈正少弱)」と載せ、又事蹟通考に「持朝の子、爲邦の弟爲光·宇土彈正大弼·文明十八年、爲光·重朝(爲邦の子)を亡ぼし、守護職を奪はんと謀る。重朝これを聞き兵を遺はして之を討ち、木原赤熊に戰ふ爲光敗走、相良家を惡んで八代郡松隈に匿る。十八年相良長每の請により重朝之を釋し、宇土に歸らしむ。明應二年重朝卒し、其の子能返嗣て守護となる。文亀元年五月、爲光又逆を圖リ、兵を起し、密かに隈府を襲ひ攻む。能運利あらずして、肥前高來に趁る。爲光隈府城を取り、之に居り、肥後守護と稱す。三年九月、城重峰、限部運治等、義兵を擧げ、能運を迎へ高瀬に戰ふ。爲光敗續し、宇土に遜れ走る。遂に大見に於いて誅さる(略傳傳記、古城主考、洞然長狀)。按ずるに異本爲光·字土掃部助忠量が養子と爲る、爲光の墓は大見大口二村界山中にあり。阿蘇家に爲光の文明四年十月十九日の書狀あり、其の上包紙に字土殿と誌す。其の子重光·其の子宮光丸、二人共に父と同じく誅さる.洞然長狀に爲光が息重光、嫡男宮滿以上三人隈府に於いて生害と。然れども爲光·大見に於いて自刄、諸書皆同じ云々」と。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図・系譜

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