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肝付(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2伴姓前項氏と同樣、大隅國肝屬より起る。南九州の大族にして、島津氏に對抗し、殊に南北朝時代に於いては王事に盡瘁する所·多かりしかば、其の名聲甚だ高し。されど其の出自に至りては明白ならざる點多く、予單の如きも、幾度か其の推定に惑ひぬ。其の系圖に據れば、大友皇子の後にして、皇子の御子内大臣余那足の裔と稱し、共の八世孫伴掾大監(又河内守)兼行、安和元年に薩摩國總追捕使となり、同二年、鹿兒島郡神食に下向す。これ伊敷(下伊數)の伴椽館(或は伴氏館所)なりと云ふ。其の後、兼貞の代(兼貞は兼行の子、又は、あ、又は曾孫、或は十一世と云ふ)に至り、肝屬に移り、日向國三俣院を併せ領すと傳へらる。これより前、太宰大監平季基、萬壽年中·日向國清縣郡島津に居住し、無主の荒野を開墾し、關自藤原賴道に寄せ、攝錄家の傳傾として、島津御荘と稱へ、季基·其の下司職を兼ぬ。その後、女を兼貞に配して嗣とす。兼貞五男を生む。一男は太郞兼俊、二男次郞兼任は後に萩原を領して氏とし、三男三郞俊貞は安樂を領して氏とし、四男四郞行俊は出水を領して氏とし、五男齋宮介兼高は梅北を領して氏とし、加ふるに、中郷鎭座神柱神社の祭祀を司る。此の神柱神社は兼高外視平季基·夢想に因り、伊勢兩宮を勸請せしと傳へ、大隅國肝屬郡始良爺鎭座の若宮社は、長久四癸未年、平判官良宗の建立にして、良宗は季基の舍弟なりと。この良宗は始良庄を開墾し、其の一族には大始良、獅子目、横山、濱田に居住すと也。而して肝屬を氏とせしは十二世大隅守兼俊の時よりと云ひ、又兼行は河內守にして「幕紋舞鶴章を賜ふと云ひ、又或る系圖には「兼遠······行貞······兼俊」とありて兼行と云ふ人なく、又或る系圖には「余那足裔······仲用······仲兼······兼遠」とありて、其の腰書に「仲用、或は仲庸、從五位下、侍從、右衞門佐に奉仕、仲兼は幼名。元孫河內右馬頭ば貞劃元己卯年の급.

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:190頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:189頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):192頁

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