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義竟

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

源平盛衰記卷九に、義竟四郞叡俊あり、山僧也。キキヤウ-キクキクINDに預け置かる。此れは大宮司若黨の妹也。規矩殿をねらいまいらせんとする間名捕云々、」と。これより前、「三月廿七日、規矩殿より早馬到來。頸一つ持來る、去廿五日、大宮司館に寄せられ、火を付くと雖、終に以つて燒けず、覺二して守護の間、恐を成し退き畢る。さて召取案内者寄せらるゝらぬ、大宮司領阿蘇内在家等を燒拂ふ鞍馬山に引籠る。其の道間に、すすれまはねきやう、まめあし、此等の難所也o日向道より搦手の案内者を申されし問日向國に仰せ、業原、桑內二人に仰せて、案內者を進め、同日彼人等下人下向云々。城内の勢兵五十餘人、以上の勢五百人計リは、其外隱れ村を、大宮司知行の間、其所に引き退きなば、打たるべからざるの由、之を披露す。廿九日、肥後より早馬到來し、阿蘇大宮司、並に菊池二郞、鞍岡城を落ち畢る。生捕、並に頸等之在る由告げ申さる、」と。其の後、太平記卷十二に「元弘三年春の比筑業には規矩掃部助高政、絲田左近大夫將監員義と云ふ平氏の一族出來て、前亡の餘類を集め、所々の逆黨を招いてIND

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

関連論文

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