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續纈

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

次の久々利に同じく、美濃國可兒郡久々利邑より起る。書紀に見ゆる泳宮も、皆同所なりと云ふ。此の氏は、早く平治物語卷三に「兵衞佐宣ひけるは『首は故池殿に續がれ奉る。その芳志には、大納言殿を世に在らせ申し侍り、髪は〓纈源五に續がれたり。但し盛安は雙六の上手にて、院中の御雙六は常に召され、院にも御覽ぜられるなれば、君の召し仕はせ給はん者をば、爭でか呼び下すべきと思ひて、斟酌するなり』と語り給へば、この由源五に告げたりしかども、天性雙六に好きたる上、院中へ參り入るを思出でとや存じけん、終に下らざりけり」と載せ、また「その京上の度、盛安を召して樣々の重寶を賜はり、『何に今まで下らざりけるぞ。大莊をも賜はりたけれども、折節國所なし。然るべき所あらば賜ふべき』とぞ宜ひける。『誠に今まで參らざる條、私ならぬとは申しながら、不義の至、併ながら徵運の至極なり』とぞ盛安も申しける。建久三年三月十三日、後白河院崩御成りしかば、頓て盛安·鎌倉へぞ參りける。賴朝對面し給ひて、『最前も下向したりせば、然るべき所をも賜はんずるに、今まで運參こそ力なき次第なれ。小所なれども先づ馬飼へ』とて、多記莊牛分をぞ賜はりける。由〓の由申しけるにや、美濃國上中村と云ふ所をも、同じく賜はりてけり。建久九年十二月に、員馬のついでに、明年正月十五日過ぎば急ぎ下るべし。多記莊をば一圓に賜ふべしと、仰せ遣はされけるに、明くる正治元年正月十三日、鎌倉殿年五十三にて失せ給ひけり。源五これをも知らず、十六日京を立ちて前條に云ヘリ。なほ

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

関連論文

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