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總領事

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

と應接す。又長崎奉行支配に中村六三郞、蘭學に長じ、明治に功多し。又鯖江藩に中村功、中村亀ニ、中村雄治、中村米助、中村圓齋、中村鎮治等あり。又山内藩士中村弘穀は明治時代功多し。また京都の儒者中村正勝(類軒)は醫師〓意の子也その子新八郞願言は第溪と號し、水戶義公に仕ふ。又佐賀藩儒に中村成(嘉田)、彥根藩儒中村源三郞勝〓の子千次郞元(勝汎)·子愷と號し、その弟旦三郞重勝(政八郞、加介)は治浪亭と號ナ。共に名高し。又赤石藩に中村君隻、同卓齋、兄弟共に學名あり。又京都の儒者に中村仲二郞之欽(七左衞門)·惕齋と號す。伊藤仁齋と名を等うす。又出雲松江の儒者中村權左衞門愈積(夢핸は三善氏、中村氏を冒す。又高遠藩儒中村中書元恒(大明)は中條と號す。伊那郡本〓村の人にして、中村湊齋の子也。又尾張の儒者に中村豬與八郞蕃政·習齋と號す。又大溝藩儒に中村彌作德勝·豐溪と號す、作野右衞門の男也。又江戶の儒者に中村興·信齋と號す。又高知山內藩儒に中村惣次郞嘉種·七友齋と號す。土佐幡多郡尾浦の人、仁齋門也。また長州毛利藩士中村九郞旭〓(道太郞)は動王によりて正四位を贈られ、越後村松藩士中村勝右衞門政治は正五位を贈ら30又黑田藩中村兵助良英の男·圓太無二は東州と號す。幕末勤王の士として名あり、從四位を贈られ、弟恒次郞無可は正五位を贈らる。また同藩中村哲藏敬信(伊之助)も勤王家、肥前島原藩士中村主計重義は兄有馬太郞と共に勤王す。又戶田藩士中村平助の子政之進政舗も勤王家として名あり。又近衞家侍、今出川家侍に此の氏見え、又周防の國學者に中村主計孝道(產靈舍)、出雲の國學者に中村守臣(蒸賣)、共に名高し。書家に中村久越あり、又畫家に中村彌藏宗錫·碧海と號す、佛庵の子也。佛庵は彌大夫蓮の事にて書に巧也。又狩野派畫家に中村三之丞雲石あり。又抵津伊丹の歌人に中村孫四郞良臣あり、赤穂藩に仕ふ。又俳人中村久次郞太年は幕臣、又駿河國沼津の人中村正平は園碁の大家也。又狂言作者に中村重助(故一)、二代重助、同〓三郞等皆多高く、又中村勘五郞(杵屋)あり。又裝劔名工に中村半七重光等皆有名也。又奈良の劔客に中村尙政あり、實藏院胤榮の流を傳ふ。又幕末明治の劔客に中村又太郞あり。又銀座由〓書に「中村武右衞門、京都住人中村吉藏、江戶住居仕リ罷在候、中村九郎右衞門」to又伏見銀座頭役に中村九右衞門を載せたり。又幕臣に中村万吉 ナカムラナカムラーナカモトナカモトナナモリ四二九〇又尾張の醫師に中村史邦(春庵)あり。又中村敬輔正直は敬宇と號す。幕臣·中村武兵衞の子、母は松村氏也。明治時代、〓育上功多く、四國立志編の著あり。又地理志料に上總人中村義利·見ゆ。又友人に中村直勝君あり、歷史家として其の名高し、近江の人也。又東都の史家に中村孝也氏あり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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