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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
-イナハチ四十五平太郞と稱す、大炊助)盛實、盛實の子、越後守(初め平三郞と稱す、又中務少輔)經實、經實の子長門守(初め平太郞と稱す)經重、弟あり、猪苗代賴母盛久と曰ふ。(盛久の子備前守盛興の時、經重·田若干を分與し、別に家を立つ、宗家彈正忠盛國·米澤に終る時、盛國に先だち來りて當家に仕ふ。)其の裔詳かならず。(或は云ふ、連獸師猪苗代兼誼の家是れ也、今按ずるに、兼誼の家諸、經重の子經元、一男式部大輔盛實を祖となす、此れと同じからざる也。)經重の子左衞門大夫絕元、經元に子なく、葦名遠江守盛詮次男を養つて嗣となす、之を大炊助(又上總助、老いて圓誼と號す)盛〓と稱す。盛〓の子越後(彈正忠)盛國(初稱盛親)」と見ゆ。始め三浦經連の猪苗代に來りし時、其の子經秦、赤房、義泰の三人を連れ來り、三館を築く、三城潟村これなりなど云ふ傳說あリ、佐原系圖經連の子に助太郞經泰と六郞義泰との二人を栽す。又塔寺長帳に「延德四年二月、猪苗代伊賀打死、明應三年四月、伊達殿猪苗代へ御落候、當所御勢、五月、御屋形樣三千騎にて御立候、さる間こと〓〓く御平げ候て、六月御引候、同十年閏六月、猪苗代殿御生害、水正八年、猪苗代勢御館を攻られ候」とo此等の事實、其の詳を知らず、(地名辭書)と。猪苗代兼栽は本姓蘆名氏、最も國雅を善くす、陸奥の猪苗代に潜居す、固つて氏とす、永正七年古河城中に客死す(本朝遞史)中興系圖には「猪苗代、平姓、本國陸奥、紋違イナホ、三浦黨、大炊助經連稱之」と見po