系圖
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
行·餘黨を集めて恢復を計る。高幹·舊好を思ひ、門族を率ゐて、これに應じ、時行に從ひて鎌倉を取り、之に據る。時行·名越式部大輔を大將とし、足利氏の軍を東海道に拒to巳にして高幹は出でゝ足利尊氏に降る、法名淨永と云ふ。延元の亂に當國·中分して二となる。小田、調.下妻等の門族は宮方に屬し、佐竹、大掾の徒は尊氏に應ず。正平中、大掾氏·佐竹氏と隙を至る。生じ、高幹亦兵を出して、兵を構ふ。佐竹の師、これを遮る。青柳の地に佐竹の兵退く。延文六年五月、足利義詮、高幹の子幹國に命じて、當國の太田文を奉らしむ。詮國·弘安二年に作る所の作田惣勘文を寫してこれを献ず(太田文、稅所文書)。蓋し義詮·天下の田數を計らんとす、故に此の令を下せしなり(花營三代記、丹後國太田文等推考)。元中の始め(北主至德中)詮國卒し、其の子〓幹·應永七年、水戶城を修築す(水戶本城中門肘木銘)。滿幹の晩年に鎌倉の公方足利持氏·不君なり。營領上杉氏憲と隙を生じ、遂に大亂を生ず。大掾は上杉に與す、故を以つて、亂後、持氏は滿幹の領地水戶の邑を創りて、これを佐竹義人の被官たる江戶但馬守藤原通房に賜ふ。通房は水戶の近里、川和田館に居れり。滿幹、及び子姪等は、水戶、府中の間に往來して、敢へて水戶城を以つて通房に與へず。三十三年六月廿一日、滿幹等青屋の祭事を役せんが爲に、府中に赴く。通房·其の間に乘じ、廿三日の夜、密かに兵を發す。箕川の藥師堂に於いて勢汰ひし、笠原谷を越えて、水戶城を襲ふ。氏遂に水戶の地を失ふ。城兵皆周章離散し、大掾5中興資幹の後は、系圖にその子「朝幹(八代、馬場太郞、常陸大掾、又橫倉太郞) -〓幹(九代、大掾)-光幹(十代、大嶽) -時幹(十一代、大掾、法號月巖淨喜)-盛幹(十二代、大掾、法號淨濤)-高幹(十これ、大掾、法名淨永) -詮國(初め文幹、十四代、大掾、法名花峰布香)-浦幹(十五代、大掾、法名凛峰淨〓)-慶松(十六代、早世)。次に滿幹の第秀幹-賴幹(十七に、大掾、法名明翁法常)-持幹(十八代、大錄、第に幹正あり)-〓幹(十九代、大掾、法號一叟慶常。第に忠幹あり、
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)