糟屋(4)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4相摸の精屋氏前述二項精屋の熊野社は上粕屋にありて、下粕屋には精屋八幡宮あり。至德三年の鐘銘に「精屋庄惣社八幡宮云々、願主平秀憲、」また應永廿八年石燈籠銘に「相州精屋惣社正一位八幡大善薩御廟前、云々、殊には同東郡元帥云々、及藤原某等家門繁榮、云々、勸進主重光敬白」と見ゆ。下りて三浦郡永島氏永祿六年文書に「公〓寺方定納配分、廿貫文精屋右衛門給田」とa又小田原分限帳に「三浦佐島、糟屋兵部、」とあり。寬政系諸に此の氏五家を擧げ、家敕·三頭左巴三盛、左三巴、九曜、と粕屋八識5武藏の粕谷氏武藏風土記荏原郡條に「粕谷氏、世田ヶ谷吉良氏の寒臣粕谷與右衛門の後にて、吉良沒落の後、弦卷村に隱居し、心叟道中と號す。子孫強卷の里正たり、」と見え、又粕屋氏、「先祖は世田ヶ谷の吉良家に仕へて、粕屋與一右衞門と號す。かの家沒落の後、此處に來りて土着せりと云ふ、」と載せ、又野良田村にも粕屋氏を擧ぐ。次に入間郡歴樂寺村の精屋氏については「そのかみ相州精谷〓を領せし故に氏とすと。先祖を精谷主計といひて、小田原北條に仕へしと云ふ。かの役帳にみへし精谷兵部少輔などいへる人の支族にや。天正十八年小田原沒落のとき、一族〓谷新三郞勝忠は早く御當家へ召出されしゆヘ其のゆかりにつきて、彼が釆邑なれは、主計も當村へ移りすむ。慶長十年の夏、新三郞より田畠七百文の地をあたへし狀を職す、」とあり。又下總小金本土寺過去帳に「精谷三左衞門「江戶ごと見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)