粟田(粟田臣道麻呂姓)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
5粟田朝臣天武紀十三年條に「粟田臣云々、姓を賜ひて朝臣と云ふ」また天平寶字三年紀に「内藥佐從七位下粟田臣道麻呂姓を朝臣と賜ふ」また神護景雲元年紀に「左京人散位從八位上粟田臣弟麻呂少初位下粟田臣種麻呂、正七位上粟田臣乎奈美麻呂、三人、姓を朝臣と賜ふ」など、相次いで臣姓より朝臣姓を賜へるなリ。姓氏錄右京及び山城に貫す。前者には「大春日朝臣同祖、天足彥國押人命の後也、日本紀合す」と、後者には「天足彥國押人命三世孫彥國葺命の後也」と註す。大和の粟田朝臣唐招提寺文書、天平寶字八年の祝圓〓地賣買卷に「大和國添上郡□中〓戶主從八位下栗田朝臣勝麻呂と見ゆ。大和に住みしもありしなり。アフカハ條を見よ。肥後國栗崎なる地名を負應仁別記に粟井討7近江の粟田朝臣天平神議元年三月紀に「近江國坂田郡人栗田臣乙潮、眞瀨、斐太人、池守等四人姓を朝臣と賜ふ」と有8尾張の粟田朝臣熱田神宮の祠官にして熱田宮舊記に、「粟田朝臣、孝昭天皇皇子天足彦國忍人命の流也、天平神護元乙巳年從五位下粟田朝臣鷹守より以選、分岐して守字を用ふ」と。又尾張志に乘田朝臣氏一黨、三十二家あり、是は孝昭天皇の皇子天足彥國忍人命の裔也、天平神護の頃粟田朝臣壹守より相承したるもあり。又神官大喜、馬場等より別れたるもありて、同名異姓交れり。神官よりわかれたるは並に尾張姓也。尾張國内神明帳に春部郡に栗田三所地神といふあるはこの栗田氏の視神なりと府志にいへるもさる事なり。さて此氏を府志に眞人と學たるは誤なり、尾張氏の人は宿禰、鷹守の裔は朝臣なり」と。